記憶の中の女達〜(42)聴こえて来た“トロイメライ”-第87話
作家名:淫夢
文字数:約3360文字(第87話)
公開日:2022年6月3日
管理番号:k057
この作品は、過去、実際にセックスした数百人の女性の中の、記憶に残っている数十人の女性との出遭いとセックスと別れを描写。
その夜、私は京都の祇園にいた。
早く逢いたい。
逸る心を抱え、込み上げる嬉しさを堪え切れないまま、書いて貰った地図を片手に、露地を辿った。
角を曲がると、教えられた名前の小さな看板が観えた。
小さなビルの階段を二階へ上がり、ドアを開けた。
「おっす」
「おこしや・・」
やはり常連客だけで営業しているのだろう、「おいでやす」ではなく「おこしやす」と言い掛けた。
カウンターに立っていた静子が私の貌を視て茫然となり、一気に眼が潤んで眦から涙の雫が伝った。
「泣く事ないだろ?」
照れ臭さを隠し、静子の前に座る。
「だ、だって、い、いきなり」
静子が、着物の袖からハンカチを取り出して涙を拭った。
シックな水色地の江戸小紋に、萩を散らしたベージュの袋帯が、上品で和風の貌立ちに似合っていた。
25年の時を経て、体型は多少ふっくらとしていたが、若かった頃の清楚で上品な美貌は、そのまま年齢を重ねていただけだった。
「ワイルドターキーをロックでくれ」
「は、はい」
静子が、震える手でロックを作り、私の前に差し出した。
「お前も飲めよ」
「うん」
上品なベージュ系で統一された店内を視回す。
常連が定着しているのを現わすように、10人程で満席になるような小さな店で、キープされた百本近いボトルが並んでいた。
「感じの良い店だな」
「なんで、ここを?」
「先週、墓参りに帰ったんだ。夜、皆で飲んだんだけど、義明がいてな、いきなり逢いに行ってびっくりさせたいからお前に言うなよって、教えて貰った」
この1年前、再婚した妻の希望で、2歳の娘と共に東京から大阪に移住した。
そして、大阪のそれなりに有名なマンションのディベロッパーに就職したが、その矢先、仮住まいにしていたアパートが昼火事で焼け出される。
私は、妻と娘を妻の実家に帰らせ、会社の独身寮で生活し始めていた。
1週間前、会社の休みを利用して、想い立って墓参りに帰った。
5年前、最初に結婚した浩美と離婚調停中に帰省した時、高校時代に交際っていた希実枝が私を訪ねて来て18年ぶりに再会し、高校時代に果たせなかったセックスをした。
それ以来、5年振りの帰省だったが、昔のワル友に連絡すると8人くらいが集まってくれた。
皆、希実枝の消息は知らなかったが、その中に静子の弟の義明がいて、私が静子の消息を尋ねると語ってくれた。
静子が京都のH女子大の英文科に入学したのは憶えていた。
大学卒業時に、その頃交際っていた呉服問屋の若旦那と結婚し、子供を3人設けて幸せに暮らしていた。
バブル期に入って一気に裕福になった若旦那が、静子に、祇園の片隅で小さなスナックを始めさせた。
幼い子供達は、呉服問屋の従業員達が面倒を看たので、静子はスナックの経営に集中出来た。
荒くれ漁師町の生まれ育ちだけあって、静子は気性が激しく、自分が気に入らない酒癖の悪い客などを出入り禁止にしたりしたので、母校の教授を中心とした大学教授達や、商工会、繊維業界、県庁、市役所のトップなど、静子の気風に惚れ込んだ上客が定着した。
しかし、店が軌道に乗った頃、バブルが崩壊して、呉服問屋は火の車になる。
お坊ちゃまだった若旦那は、ロクに仕事をせずに遊び惚け、愛人さえ囲っていた。
堪忍袋の緒が切れた静子は、「慰謝料は店だけで良い」と、3人の子供を連れて離婚する。
客のほとんどがバブル崩壊とは無縁だったので、店の売り上げはそれほど減らず、生活は安定していた。
私が思春期に恋した、3人の美少女の1人、静子。
1歳年上で、物心付く頃には傍にいた。
一緒に遊び、教師をしていた静子の両親が修学旅行などで不在の際は、静子と義明を私の父母が預かり、一緒に食事して一緒に風呂に入り、一緒に寝たりした。
余りに近過ぎて、私は自分の恋心に気付いていなかった。
想い知ったのは、中学2年の時だった。
私は科学部だったが、放課後、部室にいると、合唱部の部長だった静子が、合唱の練習が終わった後、何時もピアノの練習をしていた。
静子がピアノを弾いている。
何時もそれを遠くに聴きながら、美しく清楚に成長している静子に対する恋心を自覚した。
他の曲はほとんど忘れたが、“トロイメライ”は好きな曲だったので記憶に残った。
静子を脳裏に想い浮かべると、必ず“トロイメライ”のピアノが耳の奥に流れた。
静子への恋心を明確に自覚し始めた頃、私は、静子と親しくしていたせいで、いじめに遭った。
静子の同級生のワルグループに体育館の裏に連れ出され、「静子と馴れ馴れしくするな」と腹を蹴られ、頬を殴られた。
リーダー格が静子に想いを寄せていたようで、3度くらいか、イジメは繰り返された。
それを知らない静子は、相変わらず、離れた廊下の端から私の名前を大声で呼び、手を振った。
学校の帰りでも、私を視掛けると追い掛けて来て、後ろから抱き着いた。
その頃、私は、中学に入ってから同級生の愛らしい少女とノートを使って交換日記のような事をしていた。
彼女への恋心のような想いは抱いていたが、静子に対する想いの方が勝っていた。
だからと言って、彼女との交換日記を止める訳でもなく、また静子に対してどうこうする訳でもなく、暫くして静子も、ワルグループも卒業した。
静子が高校に入学して遠い存在になったので、私は交換日記を続けていた少女への想いを強くした。
もしかしたら、私の淫蕩癖は、この頃、既にあったのかも知れない。
交換日記をしていた美少女とは、中学の卒業式の翌日、彼女の部屋に遊びに行った時、彼女を抱いて、初めての拙いキスを繰り返した。
それは、一度だけだったが、二人共同じ高校に進学したので、これから恋を発展させて、と心を弾ませた。
処が、私がバスで彼女が汽車で通学した、その通学経路が違い、また一学年500人の9クラスというマンモス高校の中で、クラスも、教室がある校舎も違っていたせいでもないだろうが、彼女と逢う事はほとんどなくなっていた。
家に電話を掛けて逢う、という手段も考えたが、女性に対して自分から行動する事に臆病だった私は、それが出来なかった。
もしかしたら、常に控え目だった彼女も、私同様、自分から私に電話を掛ける事を躊躇し、私の方から電話するのを待っていたのかも知れない。
ここでも、かも知れない、だ。
そして、その内、彼女が同じクラスの男子と交際っているという噂を聴いたので諦めた。
彼女とも、一度の戯れのキスだけで終わったのだった。
帰省した際、彼女の消息を、彼女の同級生だったワル友に尋ねたが、永い間、同窓会名簿にも住所が記されておらず、同窓会にも出席していないようで、結局、判らず終いである。
高校1年の秋、静子が1年先輩と交際っているという噂を知っても、静子への想いは消えなかった。
その頃から、私は既に、所謂、不良ではなかったが、上級生からも一目置かれる存在になっていた。
私がケンカが強かったせいではない。
私の生まれ育った町の漁師達の武勇伝が、昔からその地方で知られていて、また、私をいじめたワルグループもそうだったが、町出身の子供達が周辺の高校に進学して暴れ回っていたので、その町の出身者である私に対して、誰も、何かをしでかそうとはしなかったのである。
もう一つ理由があった。
市内に一つしかなかった普通高校が、進学主体に教育方針を変更し始めた折、私がたまたま入試の成績で500点満点の495点を獲り、トップ入学したせいで、理数科系のトップクラスに編入された。
クラスの連中は私の成績を知って、“おれが獲りたくて獲ったんじゃねえ”と想っても、みんな、私に対して目の敵のように接した。
また、授業の合間の10分の休憩時間にも、誰もが参考書や辞書を睨んでいる教室の空気に息詰まった私は、体育や音楽の合同授業が一緒であった就職クラスや商業科の教室に遊びに行くようになり、放課後も一緒にツルむようになっていた。
そして、類は類を以って集まる、の格言通り、私の周りに同学年のワル友が集まり始める。
ワルと言っても、真面目な生徒をイジメたり、脅して金品を奪ったりするような事は一切しなかった。
放課後、或いは授業をサボって、高校の近所のワル友の部屋に集まり、タバコを喫ったり酒を飲んだり、花札やマージャンに興じたり、時たまパチンコに行ったりしただけである。
だけではあるが、勿論、校則違反だったし、法律に触れてもいた。
(続く)
※本サイト内の全てのページの画像および文章の無断複製・無断転載・無断引用などは固くお断りします。
メインカテゴリーから選ぶ