記憶の中の女達〜(29)初めての外国の女性-第58話
作家名:淫夢
文字数:約3580文字(第58話)
公開日:2021年11月6日
管理番号:k057
この作品は、過去、実際にセックスした数百人の女性の中の、記憶に残っている数十人の女性との出遭いとセックスと別れを描写。
“R/Z”を開店して1年半経った頃から、一気に客が定着し始め、2年後くらいには大盛況になった。
開店当初は、一日に4、5人だったのが、ドリンク割引券を配りまくった効果で、半年後には、一日に30〜40人、一年後には平日でも80〜100人程になり、土日と祭日の午後には、150人以上の客で店内は一杯になっていた。
ボトルをキープする客も、一番安いサントリーホワイトが、当時の新宿の安い飲み屋が2000円程度だったのを、オーナーのアイディアで1000円(原価は確か900円だった)に設定したのが大当たり、300人以上になっていた。
ツマミも、地下だから火事を出すと危ないというオーナーの考えで、お湯を沸かす以外には火を使わず、大盛りのポテトチップ、カッパエビセン、柿ピーを200円にしたのが若い客に受けた。
広告は、“R/Z”開店に協力してくれたメンバー達が創刊した“RO”、そしてオーナーを煽り立ててくれたHMが編集長をしていた“ML”のみだったが、ほとんど口コミで流行って行った。
性格上、ドリンクが飲み終わったから帰る、という客はほとんどいなくて、大抵3、4時間、常連に至っては、半日、または、朝の開店から11時の閉店まで入り浸る者までいた。
高校生が中心だったので、5時以降のアルコールタイムは多少空いてはいたが、日中は冬でも冷房を入れる程満杯になった。
そんな時には、良く、“1時間程どっかで遊んで来い”と、常連達を追い出し、空席を作った。
勿論、戻って来た時は、希望しない限りオーダーは取らなかった。
開店当初から、近くの予備校やデザイン学校、美術学校の連中が来ていたが、高校生などの若い連中、特に若いカップルに人気になったのには訳があった。
店内は大音響でロックを鳴らしていたので、テーブルに向かい合って座ると会話が出来ない。
当然、会話をしようと想えば隣り合って座る事になるのだが、相席に次ぐ相席で、カップル同士が身体を密着させる事もしばしばになった。
さらに、座る場所が完全になくなると、カップルの男の子の膝の上に女の子を座らせるように、私が想い付いて「命令」し始めたのだ。
純情なカップル、恋人同士でもないカップルは、恥ずかしがって帰ったりもしたが、それを要求して受け容れてくれるかどうかは、雰囲気で何となく判った。
これがウケて、席が空いているのに、男の子が膝の上に女の子を抱っこするカップルさえ出て来て、私が“未だいちゃつく時間じゃねえ”とからかう程だった。
因みに、オフレコ?時効?だが、現在の日本で最も位の高い方のご学友の高校生達も、良く来て屯していた。
さすがに酒は飲んではいなかったし、ご本人もおいであそばす事はなかったが。
そして、その頃から、外国人の客も目立ち始めていた。
特に多かったのは、横須賀と立川に在籍している米兵、或いはその関係者だった。
折しもベトナム戦争の真っ最中だった。
戦争を心身ともに実体験し、生死の極限にいる彼らは、私のような軟弱なノンポリ(non political)にとって強烈な威圧感と存在感があった。
彼らは、しかし、そんな実情を表に出さず、いや、そんな体験をしているから、尚更か、陽気に振る舞い、良く飲み、良くしゃべり、掛かっているレコードの曲に併せて大声で歌った。
私は彼らと話す事で出来るだけ英会話を身に付けようと企んだが、彼らは三ヶ月もしないうちに日本語を覚えてしまって日本語を話すようになり、私の企みも上手くは行かなかった。
しかし、55年の間、ロックを聴いて来たおかげで、今ではやっと片言で道案内ぐらいは出来るようになった。
現在は、ネットで文章を入力して、その続きに“英訳”と検索すれば英文が出て来るので、それを覚えた。
4年程前から再び音楽創作を始めた私は、メロディに日本語の歌詞が載りにくかったり、(反戦)ワールド ソングを作る場合に、何時もこれを利用していて、自分で英訳した歌詞をロンドン在住の元“R/Z”の常連だった女性(かつて、隣り合わせでセックスしたTの、後の奥さんで、Tと離婚した後、イギリスへ移住してイギリス人男性と結婚した)に送って、添削して貰っている。
それでも、私が外国人と話す第一声は“Please speak slowly,and easy words”だ。
Beatlesを初めて聴いて以来55年間、買いまくったレコードを聴いていながら、歌詞カードを辞典片手に翻訳していれば、と今更のように後悔する。
5月末、蒸し暑い夏のような毎日が続くある日の夕方、マイクが優子とやって来た。
もう一人、白人女性が一緒だった。
6時を過ぎて仕事から解放された私は、グラス持参で彼らの席に行く。
マイクは30歳くらいのスイス人で、スポーツジャーナリストだと言っていた。
いかにも南欧系といった貌立ちで、鼻髭を生やして青い瞳をした陽気な男で、日本語を話せた。
優子は美人と言えなくはなかったが、ファッションデザイナーだそうで、その割りには何時もこ汚いフーテンのような恰好をしていた。
二人は、後に、スイスに帰って結婚する。
マイクの実家はスイス北部で牧場をやっていて、フランス、ドイツ、オーストリアまで車で1時間も掛からないと自慢していた。
一緒に来ないかと誘われたが、南の島で海を眺めて死ぬのが夢である私には、寒いスイスの山奥など観光でも行きたいと想わなかった。
さて本題の、一緒に来た女性だ。
名前はリタ、アメリカ人で、25歳。
明るい赤毛で、頬にソバカスが散っていて、グラマーな体型の割には、細面だった。
近くで視て初めて知ったのだが、リタは、眉毛も睫毛さえも、髪の毛と同じ赤毛だった。
恥毛も赤毛なのかな?
ふと、想ったが、それを想像しても性的イメージは湧かなかった。
欧米の女性は、映画スターかミュージシャンを写真や映画の中で観る程度で、生の女性を間近で視るのは、“R/Z”に時々来る女性客以外になかった私には、リタが何歳なのか、美人なのかどうかも判らなかった。
リタが付けているきついコロンの薫りも好きにはなれなかった。
腋毛を生やしていて、その腋臭を隠す為に甘く爽やかなオードトワレを着けていた女性を想い出す。
リタの、誇らしげに突き出した乳房の大きさも好みではなかった。
傍で視る彼女の乳房は、真に“巨大”で、開き気味のティシャツの胸元から、いや、乳房が大き過ぎて胸元が開いているのだろう、乳房の谷間が簡単に覗けた。
乳房の上部の胸元から首に掛けてもソバカスが散っていた。
初めて間近で視る巨乳が気になってついつい視線を遣ってしまう。
「マスター、巨乳好みだったっけ?」
優子がにやにやしながら、私をからかう。
「厭じゃないよ」
私は、女性を傷付けるような発言をしない主義だ。
「He likes big tits」
優子も笑いながら、リタに、私の言葉を誇張して伝えた。
リタが私を視て、眼を丸くして笑った。
リタはマイクの仕事仲間の妹で、観光で日本に来たそうだった。
日本語はまるで話せないようで、私達の会話を一言ずつマイクか優子がリタに、リタの言葉を日本語で私に伝えた。
2時間ほど飲み、彼らが“R/Z”に来て飲んだ時に、何時もそうしたように、荻窪にあるマイクのマンションへ泊まりに行く。
リタはマイクのアパートに泊まっていた。
マイクは仕事柄、世界中を旅行していたが、カメラが趣味で世界各地の絶景写真を観せてくれた。
風景写真を観ながら飲んで話し、1時間程して、優子が寝室に向かい、マイクが後を追った。
リタも、彼らの部屋の隣の部屋に入った。
私はマイクの部屋で泊まる時、何時もそうしているように、リヴィングのソファーに横たわった。
うとうととしているとドアが開いてリタが出て来た。
トイレに行くのかと想ったら、私の傍に歩み寄って来た。
淡い灯りで、着替えたネグリジェに覆われたリタの豊満な乳房が透けて視えた。
リタが理解不明の言葉を呟きながら私の傍に膝ま付き、私に覆い被さって来た。
おい。
やる気か?
リタの乳房は、視た目以上に、想像していた以上に柔らかく、私の胸を覆うように拡がる。
それだけでも違和感があった。
新たに付けたのか、コロンの薫りも鼻を突いた。
リタが唇を重ねて来た。
応じようと唇を合わせて驚く。
リタの唇と舌の蠢きは、かつて経験した女性のそれの比ではなかった。
リタの太腿に触れていた男根が、不本意にも一気に勃起する。
それに気付いたリタが眼を丸くして小さく呟き、微笑みを浮かべたまま私のジーパンのボタンを外し、ファスナーを降ろす。
ふと、マイク達の部屋から優子の嬌声と喘ぎ声が聴こえて来た。
以前、ここに泊った時も、リヴィングに私がいるのも気に留めないで、二人はセックスした。
私は、何度か経験があったので、ほとんど気にせずに、そのまま眠った。
リタは、マイクと優子のセックスの気配に刺激され、私とセックスしようと想ったのだろう。
相手が好みでもないタイプだろうが、女性から仕掛けられて拒むのは失礼だし、女性が可哀想だ。
やってやる。
アメリカ女に負けて堪るか。
ガキの私は、意味もなく闘争心を掻き立てていた。
(続く)
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