記憶の中の女達〜(11)音楽評論家の卵-第21話
作家名:淫夢
文字数:約3670文字(第21話)
公開日:2021年2月12日
管理番号:k057
この作品は、過去、実際にセックスした数百人の女性の中の、記憶に残っている数十人の女性との出遭いとセックスと別れを描写。
ギターを買い、小型のギターアンプを買った私はオーナーの部屋でギターの練習をした。
指先が弦で切れそうになる程痛くなると、昼は“F”へ、夜は“R”を手伝ったり“S”に?みに行ったりの生活に変わった。
ギターを買うために3ヵ月バイトした時、オーナーの愛人がバイトする事になったので、私は“R”でのバイトを休んだが、その間は“R”でのバイト料は勿論なくても、蓄えはあった。
オーナーは、私が“R”を手伝った時間だけの時間給をくれると言ってくれたので、自分で働いた時間を自己申告していたが、何時も実際より少し多めにくれたし、私が生来お金に無頓着だったので、ごまかして申告したりもしなかった。
そんなある日、ふと靖国通りを数人のフーテンが歩いているのを観掛けた。
また違う日にはギターを担いだ3人の長髪の若者を観掛けた。
新宿2丁目の“R”と新宿厚生年金会館の裏にあるオーナーのマンションとは、靖国通りを挟んで反対側にあった。
不思議に感じた私は、その次に観掛けた若者の後を追った。
彼らは新宿厚生年金会館の向かいにある“S/E”という店に入って行った。
“S/E”はその後、ロックファンの間で久しく語り継がれた伝説のロック喫茶である。
“S/E”に行ったと言うだけでそのロック歴を推し量れたし、常連だったと言うと大げさだがスターのような存在だった。
後に付いてドアを開けると、もの凄い大音響でロックミュージックが掛かっていた。
店員にビールを頼んで適当に座る。
所々に薄汚いテーブルとイスがあるだけで、それ以外に座れるような凹凸があり、客は思い思いに居場所を見つけて座り、ある者は眼を閉じて瞑想に耽り、ある者は全身を揺すってロックミュージックに身体ごと浸っていた。
大音響でロックミュージックが鳴っているので、誰かと会話する際は、大声を出さなければならなかった。
入口を入るとすぐ、中二階(一階?)への上向きと半地下への下向きの階段があり、その傍にDJルームがあった。
私は一瞬で、その店の虜になった。
というより、24時間ロックミュージックを大音響で鳴らしているという異様なスペースの虜になっていた。
以来、“R”の手伝いもせず、オーナーの部屋でギターの練習をし、指が痛くなると“S/E”に入り浸った。
ある午後、前夜から“S/E”に入り浸っていた私の傍にLPのケースを持った20歳くらいの女性が座った。
ストレートのボブカットで、化粧っ気はほとんどないが、貌立ちは悪くなく、体型も小柄だった。
彼女はLPケースからアルバムを出し、さらに何事か呟きながら原稿用紙を出して、鉛筆で書いては消しゴムで消し、消しては書きを繰り返した。
アルバムジャケットに眼を遣ると、“The Allman Brothers Band”という文字があった。
当時、最も好きだったロックバンドの一つで、ファーストアルバムを買って聴きながら、ギターを練習していた。
「何だよ、それ」
私は彼女に躙り寄った。
「今度発売されるAllman Brothers Bandの新譜よ」
「へー。何でそんなの持ってんの?」
「私、評論家を目指してるの。先生が試しにライナーノーツ(レコードに添える解説文)書いてみろって」
“S/E”では大音響過ぎて顔を近付けて耳元で話さないと聴こえない。
必然、私と彼女は身体を寄せた。
「ファーストアルバムカッコ良かったな」
「知ってるの?」
「ああ、持ってて毎日聴いてる」
「これセカンドアルバム、“Idle wild South”って言うの」
「もう聴いたのか?」
「未だよ。さっき先生から預かったばかりだから」
「ライナーノーツなんて感想文みたいなもんだろ?聴かなきゃ書けないんじゃないのか?」
「そうなんだけど」
「おれのバイトしてる店に来いよ。おれも聴きたい。開店7時だから時間あるし。すぐ近くだ」
彼女は一瞬躊躇したがすぐに頷いた。
二人で“R”に行き、カウンターの隅に置いてあるプレーヤーを中央に出してやる。
彼女がケースからレコードを取り出してターンテーブルに載せ、注意深く針を置いた。
私はヴォリュームを最大にしてやった。
1曲目“Revival”のギターのカッティングがスピーカーから飛び出した。
「近所迷惑じゃない?」
「この時間、20メートル四方は通行人以外いない」
やはり顔を近付けて耳元でお互い大声を上げる。
自分でウィスキーのロックを作り、彼女には“S/E”でも飲んでいたコーラを入れてやる。
彼女が財布を取り出したのを手で制すると、爽やかに微笑んで軽く会釈した。
純情そうで可愛いらしかった。
二人で40分程無言でエンディングまで聴く。
二人のドリンクのお代わりを作る。
「ファーストアルバムの方がおれは好きだな」
私は率直な感想を呟いた。
「私はこのバンド初めて聴くから判んない」
「何だよ。知らないバンドのライナーノーツも書かなきゃいけないのかよ」
「うん。仕事だし、選べないの。それに、本物はもう有名な評論家が書いてるの。私が書くのは練習というか試験みたいなもの」
「そうなんだ。大変なんだな」
これを書いていた時、真に今日(H29.05.29)!、朝刊に、オールマン ブラザーズの弟、グレッグ オールマンの逝去の記事が載っていた。
彼のシブいヴォーカルと、控え目なハモンドB3(世界的に有名なオルガン)の音色が好きだった。
当時の有名なロックキーボード奏者はほとんどこれを使っていたし、今でも愛用しているミュージシャンも多い。
因みに、私もB3の音を使いたくて、しかし本物は値段が高過ぎて、B3のデジタル版のX1を買い、B3には付き物のロータリースピーカーさえも買った。
永い時が過ぎて行く。
一般的に、ミュージシャンのデビュー作というのは、デビューするまでの数年間の蓄積を集大成して制作していて、だから優秀な作品であったりする事が多く、従って、レコード会社の関係者やプロデューサーの眼に留まる事になるのだが。2作目、3作目になると、ライヴ演奏活動が増えたりレコード会社との契約で次作を出す制約があったりして、曲や詩、アレンジのアイディアが足りなかったり、製作時間が足りなかったりで、デビュー作より質が落ちる事が多い。
2作目、3作目が、前作を超えるほどの優秀な作品を出すのが、本物のアーティストとして認められるのだ。
彼らは、このアルバムの次、71年の3作目で「At Fillmore East」と言う2枚組のライヴ アルバムを発表し、世界的な大成功を収めた。
「ファーストアルバムはもっと音が重くてロックっぽくて、おれは好きだけど、これは軽い」
「そうなの?聴いた事ないから判らないけど」
「おれが貸してやるよ。返すのは気が済んだらで良い」
彼女は私の申し出に貌を綻ばせたが、すぐに真顔になった。
「出遭ったばかりの私に?良いの?」
私はカウンターに並べたレコードを取り出し、彼女に渡した。
「“S/E”で知り合ったのなら、他人じゃないさ」
「ありがとう。聴き比べて書いてみるわ」
「そうしろよ。レコードに付いてる、評論家の能書き、おれは好きじゃないけど一応全部読んでる。メンバーの経歴とかが書いてあるから参考にもなるよ。おれなんかに書かせたら、“これはカッコ良い”、“これは嫌い”だけだけどな」
彼女が、楽しそうに笑いながら、レコードをケースに仕舞い込む。
「ねえ、明後日のお昼頃、“S/E”に来れる?書いたの読んで感想聴かせて欲しいの。先生に提出する前に」
彼女があどけない表情で言った。
「多分、毎日いるから。でも何で?おれが?」
「先生以外にあなたしか相談する人いないもん」
「今言ったけど、おれはアーティストの経歴とか、あんまり興味ないんだ。だから判んないぜ」
何度か作文や読書感想文のコンクールの賞を獲った事があったし、高校の哲学の宿題で“黒人ブルースと日本民謡の共通性”という論文を書いて、それも賞を獲ったから、文章には多少の自信があった。
「でも、お願い」
彼女が小さな手を合わせて子供のように私を拝んだ。
「判った。明後日の昼な。おれ、吉田。お前、名前は?」
「真由美」
彼女との出遭いはこうして始まったのだが、彼女との出遭いが、私の人生を決定付ける事になるのを、当然未だ知りもしなかった。
二日後、“S/E”に現れた真由美の表情で、ライナーノーツの出来が推測出来た。
「だめみたいだな?」
「私、自分で才能ないのが判った」
隣に座った真由美から手渡された原稿用紙を受け取り、読んでみる。
アーティストに関しては詳しく書かれていた。
しかし、各曲に関する記述に、“わー、聴いてみたいな”と感じさせるほどのインパクトがない。
「まあまあだな」
女性を傷付ける言動はしない事にしている。
私は一応最後まで読んでから原稿用紙を返した。
「私は最低。全然ダメ」
真由美が項垂れた。
Deep Purpleの“In Rock”が鳴っていた。
「やっぱ、音楽なんて能書きで聴くもんじゃねえよ。この“In Rock”とか、Led Zeppelinの“?(ファースト)”みたいにさ、聴いた瞬間、男なら勃起するとか、女なら子宮が疼くとか」
私は以前セックスした事があったフーテンの女の言葉を想い出して引用したが、若くて純情そうな真由美には少し卑猥だったなと後悔した。
案の定、真由美が貌に恥じらいの色を浮かべた。
しかしその真由美の口から意外な言葉が出て来た。
「子宮が疼く、って、私判る。ジャニスの“Cheap Thrill”聴くと、身体の奥が熱くなるの」
真由美が恥ずかしそうに眼を伏せたまま言った。
(続く)
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