記憶の中の女達〜(3)学生運動の女闘士-第5話
作家名:淫夢
文字数:約2990文字(第5話)
公開日:2020年10月15日
管理番号:k057
この作品は、過去、実際にセックスした数百人の女性の中の、記憶に残っている数十人の女性との出遭いとセックスと別れを描写。
ある時、新宿の有名デパート“M”の裏通りを歩いていて、“F”という喫茶店に何気なく入ってみた。
一、二階併せると200席以上あっただろうか、天井も高く、広い空間を成していた。
“F”は、薄汚れた壁と床、煙草の煙の立ち込める中、様々な種類の学生、芸術家、メディア人を目指す若者、またドロップアウト志向を抱く若者などの溜まり場のようになっていた。
24時間営業をしていたせいか、電車に乗り遅れて始発電車まで時間を潰す酔っ払いや、半分ホームレスのようなフーテンなどもいて、独特の退廃的なムードを醸し出していた。
私も何故か、そのムードにハマり、上板橋のおねえさんの部屋に行かず、そこで“R”の閉店から翌日の開店まで過ごすようになった。
アルコールは出していなかったようだったが、軽食程度のメニューがあったように記憶している。
私は“R”で働き出して半年程経った頃から少しずつ髪を伸ばし始めていた。
小学校5年の時、兄が作った真空管ラジオから流れて来たFEN(Far East Network、当時、俗に言われた「進駐軍放送」)で、Beatlesの“Please please me”、“She loves you”にノックアウトされて以来、ロック大好き少年になり、(現在もロック大好き老人だが)ずっとロックを聴き続けていた。
今ではジーンズも長髪も珍しくはないが、当時は新宿を歩いていて、ブルージーンズに長髪男と出遭えば「おっ、同類」と手を挙げて挨拶したりもした。
これで“ピー缶”(煙草のピースの両切りの缶入り)を手にぶら下げていれば、完璧であった。
“F”の店内に流れていた音楽は確かクラシックであった。
200席もあったが、土曜の午後から日曜の夜まではほぼ満席に近く、何時も独りで行っていた私は相席を求められる事もしょっちゅうであった。
相席自体厭ではなかったが、学生運動をやっている連中に議論を吹っ掛けられるのが苦手だった。
社会学や哲学、思想を積極的に勉強した事もなく、その手の本を読んだ事もなかった私は、自分の考えを明確な言葉にして語る事が苦手だった。
敦子は、何度か他の席でグループディスカッションのような事をしている処を観掛けた事があった。
当時の流行り言葉で言えば、相手を“論破する”(主張を議論して相手を言い負かす)事を目的として、いかに自分の考え、主張の正当性を相手に認めさせるかに躍起になっているだけのように想えた。
「相席でお願いします」
ある日曜日、“F”でうとうとしていて、店員の声に眼を開くと、敦子が座っていた。
店のでかい柱時計を見ると、既に9時を回っていた。
“R”は日曜日が定休日だった。
それほど美人ではなかったが、“F”の退廃的なムードの中に屯する女性客の中では、割と整った貌立ちだった。
お茶の水にある某国立大学の6年生で、家は府中市にあるらしかった。
「君は学生か?」
女性に「君」と呼ばれるのは、高校の音楽の先生以来であった。
「半分学生で、半分は違う」
「学生運動はやってないのか?」
“ほら、来た”
逃げ出したい気分になったが、敦子なら相手をしても良い。
「興味ない」
「興味ない?君みたいな若者が?今の社会に対して憤りを持たないのか?」
敦子が身を乗り出して来た。
「明日の飯を喰うのが精一杯でそんな暇はねえよ。あんたらは多分親元で暮らしてて、家に帰れば眠れるし飯も喰えるんだろ?親がいなくて住む家もなくて働かなきゃ生きて行けない。それでも社会がどうの、国がどうのってやってられるか?」
敦子の表情が少し強張った。
「大体、学生運動やってる連中って、若者が皆認めてくれてるって自惚れてるだろ?おれなんか、夢と希望を抱いて大学に入ったのに、学生運動のせいで一度も授業受けられてないんだぜ。いい加減にして欲しいよ。お前だけのせいじゃないけど」
半分は真実、半分は自分の生来の良い加減さからではあった。
「そ、そうか?迷惑かけてんだな?」
敦子が少し情けなさそうな表情になった。
“勝った”か?
ここで追い打ちを掛けるのは大人げない。
「それより、おれ酒飲みたいんだけど付き合わねえか?奢ってやるよ。お前酒飲めるか?そこで続きを聴いてやるよ」
敦子が一瞬躊躇したが、すぐに微笑んだ。
「君、面白そうだから、よし、飲もう。但し、割り勘だ」
“ほら、金持ってんだろう?金がなかったら学生運動なんてしないって”
それを言ったら、そこで終わりだ。
ぐっと飲み込んで、一緒に店を出た。
新宿3丁目、日曜の夜も営業をしている居酒屋が多かった。
古いビルの地下に“B”という、ジャズを大音響で鳴らしているスペースがあった。
「ジャズが好きなのか?」
私がホワイトのロックをダブルで頼むと、敦子は水割りを頼んだ。
「ロックが好きだ。ジャズは難しい」
「私は敦子、君、名前は?」
「吉田」
「年齢は?」
「19歳」
「学校は?」
「“T”」
「良い大学じゃないか?いや、すまん。ずっと休講なんだな?で、今は何か仕事してるのか?」
「ゲイバーでバイトしてる」
敦子の表情が少し強張った。
「言っとくけど、おれはホモじゃねー。頼まれたからやってるだけだ」
「そうか。変わった世界にいるんだな?」
「連れてってやろうか?結構面白いぜ」
「いや、わ、私は良い」
ふと、敦子が遭ってから初めて女の貌になったのに気付いた。
暫く経ってから気付いた事だが、女性にホモの話をする、或いはホモの世界を感じさせると、男性同士がどうやってセックスするのかを意識してしまうのだろう、男女がセックスするなんて当たり前のように感じてしまうらしく、そんなつもりでなさそうな女性でも、ゲイバーに連れて行って酒を飲むと、ほとんどその夜のうちにセックスしたりした。
「で、学生運動の話はしねえのか?」
私の方から吹っ掛けてみた。
私のように、元々、学生運動など興味を持った事もない人間に対して学生運動の論理を認めさせようなんて、例えはおかしいかも知れないが、目の前に好きな食べ物が一杯並んでいる人間に対して、それほど好きでもない食べ物を「これが美味しいから喰え」と必死で説得するようなものだ。
と私は想う。
「いや、君は興味なさそうだし、無意味な気がして来た」
「そうだろう?違う話をしようぜ」
と言っても、共通の話題がある訳でもなく、2時間ほど、他愛もない話をしながら飲んでいると、敦子が少し酔っぱらって来たようだった。
「酔ったみたいだから帰る」
敦子が立ち上がろうとした。
「帰るって、家にか?」
「そう」
立った身体が揺らいで、歩こうとする足がふら付いている。
「府中って言ったよな。電車、もうないぜ」
肘を抱えて敦子を支えてやる。
瞬間、手の甲で敦子の乳房を圧し潰した。
意外と豊かで弾力があった。
敦子はそれに気付かなかったのか、酔っているからか、避けようとしなかった。
「困ったな。私は風呂に入りたかったんだ」
「風呂?」
「そう、4日も入ってない。ああ、風呂に入りたい。髪は昨日洗ったけど」
敦子が髪を搔き毟った。
「そんなに風呂に入りたいなら、ホテルに行くか?」
下心半分の誘いだった。
「ホテル?」
「ホテル?うーん。君と?」
「厭なら、始発までここで時間潰せば良い」
「厭じゃない。よし、行こう」
ふら付く彼女を抱きかかえるようにして、“B”を出て2丁目のど真ん中にあるラヴホテルに入る。
このホテルは安くて、休憩で2,000円、泊まりで3,000円だったか。
恐らく何百回も利用したが、意識していなかったせいで、名前も忘れた。
場所柄か、利用客はほとんどホモカップルのようだった。
(続く)
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