記憶の中の女達〜(1)プロローグ〜会社社長の愛人とピンサロのお姉さん-第2話
作家名:淫夢
文字数:約3540文字(第2話)
公開日:2020年9月24日
管理番号:k057
この作品は、過去、実際にセックスした数百人の女性の中の、記憶に残っている数十人の女性との出遭いとセックスと別れを描写。
小学4年生の頃に同級生の女の子に恋心を覚え、学校中処か先生達も認める公認の中になって交際い、中学の卒業式の翌日、彼女の部屋で生まれて初めてキスを交わし、しかし、同じ高校に進学したのに、通学路もクラスのある校舎も違っていただけではないはずだが、何故かそれだけで終わってしまった美少女。
彼女は、未だに消息が判らず、彼女と同級生だった高校時代の悪友に尋ねても、音沙汰がないと言う。
中学校、高校時代通じて全校男子の憧れの的で、私は幼馴染の特権を駆使して家族全員留守中にも出入りしていて、彼女の部屋に入ってベッドで横たわって彼女の枕に貌を埋めて匂いを嗅いだり、引き出しの中の下着を手に取って唇を触れたりして、在らぬ妄想を抱いていただけの、一歳年上の幼馴染の美少女。
彼女とは、25年後に再会して告白し合い、最初で最後のセックスをする。
高校3年の春、ラブレターを貰って交際い始めたが、結局これも卒業式が終わった後キスを交わしただけで終わってしまった2歳年下の美少女。
彼女とも10年後に帰省した際、望まれて一度だけセックスする。
彼女達との美しい想い出と、もしセックスしていたら、どんなに素敵であったろうという幻想と、現実にたった今しているセックスの余りのギャップにショックを受けた私は、心の中で“セックスってもっと美しいものなんだ。女性ってもっと素適なんだ”と心の中で叫んでいた。
そしてもっとショックだったのは、私が今、現実にしているセックスを否定しながらも、射精してしまった事だった。
オナニーで射精した経験は勿論何度もあったが、初めての女性とのセックスが随分不本意なものだった事で、私は自己嫌悪に陥った。
女性が初体験の際に、希望に沿うようなセックスであったか、そうでなかったかで、それからの人生観、セックス観が大きく違ってしまう、という事を聴いた事があったが、私の初体験も同様だったかも知れない。
しかし、翌朝彼女から「週1回くらいお願い」と1万円を握らされた時、私は“まあ、良いか”と彼女の希望を受け入れる事にした。
彼女とは、週に1、2度、彼女が来ると、“R”の閉店後、飲みに行ってホテルに行ってセックスして、翌朝1万円貰う、という関係が続いた。
彼女のセックスは貪欲に変化を好み、様々な体位があるのだ、という事に驚いた。
同じ体位で絶頂を極める事などほとんどなく、彼女自身が、どんな体位で絶頂を極める事が出来るのか模索しているようでもあった。
そのせいか、私自身も、どんな体位を彼女が好むのか、どんな愛撫で感じるのかを意識するようになった。
例えば、普通に勃起を膣孔に挿入して抽送するだけでなく、空いた手で乳房や乳首、クリトリスを愛撫するとか、勃起の抽送も、直線的にだけではなく、角度、速さ、深さを変えて、彼女が最も感じるやり方を模索するようになった。
私のそうした努力を彼女は、ひどく感激してくれた。
しかし、何度セックスしても彼女に対して特別な感情は抱けず、オーナーの部屋で寝泊まりするより彼女とホテルで寝る方がまし、という程度だった。
また、昔も今もお金に無頓着な私は、酒を飲むのはバイト料でも充分だったし、酒を飲む以外にほとんど遣う事もなかったので、彼女がお金をくれる、というのは彼女とセックスする理由になってはいなかった。
もう一人、常連客の女性がいた。
25歳くらいだっただろうか、いつもリーゼントカットのお兄さんとその恋人の長髪の男性と3人で、週に2度くらい来ていた。
会話の中で、彼女が京浜東北線沿線のピンクサロンで働いている事は知った。
その会話の中で、ピンクサロンが、女性が男性を悦ばせる処である事も知った。
何と言っても、私の中では、サウナでさえ妖しい処だという認識があった。
サウナは、今でも時々利用するが、当時も今も「ホモの発展場」と俗称が付くくらい、ホモ同士がナンパし合う場所のようだ。
彼女は小太りで、美人とはお世辞にしか言えなかったが、目鼻立ちがしっかりしていて、明るい農村のおねえさんというイメージであった。
ある夜、何時ものように3人が閉店までいて、店を閉めた後、ゴールデン街に飲みに行こうと歩き出した私の腕に彼女が腕を絡めて来た。
気付くと、ホモカップルはいなくなっていた。
「二人は?」
「ホテル」
「お前、仲間外れかよ」
「いつも、そうだよ」
ゴールデン街の安い酒場で朝まで飲んで、始発で帰ろうと一緒に新宿駅に向かう。
「私の部屋に来て」
「良いよ」
子供の頃の同級生にいた女の子のような雰囲気で、気易く接する事が出来た彼女は、これからセックスするというような気分ではなかった。
彼女の部屋は、子供の頃に何度か入った事のある友達の姉の部屋のようで、ピンクサロンで働いているという仕事柄からは想像出来ないほど、地味であった。
部屋に入ると、すぐに彼女が私の眼の前で全裸になった後、私も全裸にし、一緒に彼女のベッドに潜り込む。
彼女も、洋服の上から想像していたように、小太りだった。
それでも私にとっては、人生二人目のセックス相手で、セックスの歓びを知ったばかりの19歳のガキには、拒む理由はなかった。
彼女は、最初は普通のセックスをしたが、二度目からは、私に全身の愛撫を求めた。
何時も男性を悦ばせているだけで、欲求不満が募っていたのだろう。
首筋から、耳朶、耳の孔、喉、腋、二の腕、臍、背中、脇腹、骨盤、恥骨、脚の付け根、膝の表裏、踝、手足の指の一本一本を、掌と指と口で愛撫するよう、言葉で求めた。
二の腕や膝の表裏、踝、手足の指の股さえ、感じるものなのだ、とひどく感心した。
そして、全身を愛撫した後、初めて彼女が乳房と女性器への愛撫を望むのだが、それまでの愛撫で昂まり過ぎて、それだけで絶頂に達する事もしばしばあったし、勿論、全身への愛撫の後にいきなり勃起の挿入を求め、それだけで絶頂を極める事さえ、何度もあった。
私は、セックスする前に全身を愛撫してやれば、女性の性欲が昂まり、恥じらいを忘れて自らの快感を曝け出し、セックスを求めるようになる事を、彼女のセックスの中で知った。
また、おばちゃんとおねえさんとでは、乳首の大きさや色、女性器や女陰の襞の大きさや形状、色が異なるのも、クリトリスの位置、会陰の長さ、恥毛の生え具合や毛質が違う事も知った。
体臭も女陰の匂いも、愛液の味も匂いも違う事も知った。
エクスタシーの絶頂の極め方も違った。
おばちゃんは、昂まるに連れて裸身の隅々が少しずつ痙攣し始め、それがだんだん激しく大きくなり、エクスタシーの絶頂を極める時は、私を放り出すようにして、絶叫しながら意識を失った。
ピンサロのおねえさんは割と穏やかで、しかし、絶頂が激しい痙攣を伴って一気に訪れ、しかし小さく呻く程度で、私にしがみ付いて絶頂を迎える、といった風であった。
ピンサロのおねえさんが、初めてセックスした日の午後、私がバイトに出掛ける際に部屋の合鍵をくれた。
おばちゃんと交際う夜以外は、彼女が店に来なくてもおねえさんの部屋に泊まりに行った。
やはりそれもオーナーの部屋で寝泊まりするよりまし、というだけの理由であった。
彼女は、私の洋服や下着などを買ってくれたりもして、また「何か要る物があったら買いなさい。なければ貯金して置きなさい。何時か必要になる時があるから」と、週に1万円くらいくれた。
しかし、私にとって、社長の愛人も、ピンサロのおねえさんも、勿論、生涯を共にしようなどと考える対象ではなかったし、ただ、19歳の、セックスを覚えたばかりのガキと欲求不満の女性がセックスして愉しむだけに存在しているのであり、彼女達も恐らく、いや、間違いなく、私とセックスするのは、遊びだと考えているに違いなかった。
と、その頃は想っていたのだが、二人が私の人生にとって大変な存在であった事に、20年も経った頃気付いた。
私はこの二人の女性から、女性の性の何たるか、女性の性欲の昂まり方、女性の肉体の愛撫の仕方を、無意識に、或いはある時には具体的に言葉で、教え込まれていたのだった。
そもそも私は、人生一徹、我が道を行く、というタイプではなく、私の人生の折々に新たな女性が出現し、勿論セックスする関係としてであったが、その女性と共に生きる為に、どんな手段で、どんな生活の糧を得て、どんな方向に進めば良いのかを選択した。
つまり出遭ってセックスをする関係になった女性が、常にその都度、私を新たな人生に導いてくれたのだ。
その出遭った女性とセックスして悦びを覚えてくれ、それ以上に継続した関係になってくれなければ、私の、その時々の人生の変遷はなかったのだ。
その事を振り返ると、この二人は私にとっては大変な恩人である。
その感謝の想いも込めて、彼女達との経緯をプロローグとする。
(続く)
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