記憶の中の女達〜(1)プロローグ〜会社社長の愛人とピンサロのお姉さん-第1話
作家名:淫夢
文字数:約2860文字(第1話)
公開日:2020年9月19日
管理番号:k057
この作品は、過去、実際にセックスした数百人の女性の中の、記憶に残っている数十人の女性との出遭いとセックスと別れを描写。
人間は、人生の中で、その折々に幾人かの大切な人との遭遇があり、それが大小に拘わらず人生の岐路となったり、或いはそのまま見過ごしたりする。
しかし、大抵の場合、その出遭った人が、自分の人生にとって、大切な人なのか、または大きな人生の岐路となる人なのかは、その時点では勿論判らず、見過ごして、不運な方を選択したりする場合もある。
と言っても、見過ごした方の選択肢が幸福になれるかどうかなんて、判らないのだが。
そして、年老いてから、「あの人と一緒に仕事をしていたら」、「あの人と別れなければ」、「あの女性と結婚していたら」などと、取り返しの付かない想いを心の奥に抱いてしまうのだ。
中学時代は単にセックスするのが怖くて、高校時代は超硬派を気取って、それぞれ交際った女生徒がいたのに、結局童貞のまま、大学に入学して東京に出る。
二歳年上の兄が先に大学生活を送っており、その下宿に住む事になった。
大学を経て新しい人生の船出、と行きたい処だったが、折しも燃え盛る学生運動の火の中。
朝大学に行くと、休講、翌朝にも行くと休講の繰り返しで、ひと月ほどで大学に行かなくなった。
楽天的な私は、そのうち学生運動も収まって、授業が始まるだろうとのんびり構えていた。
そんな時、高校時代の悪友から電話が掛かって来た。
新宿のスナックでバイトを始めた、無料で飲ませてやるから来い、と。
教えられた、“R”という名のスナックに行くと、オーナーとおぼしき中年男性が独りいて、友人は辞めた、と。
で、人手が欲しいから、手伝ってくれないか、と頼まれ、暇を持て余していたので、二つ返事で承諾した。
大学を卒業して、何処かの大学の研究所に入るか、一流企業の研究所で研究に没頭し、末は博士号を取って、という健全な夢を抱いていた私の人生は、この一瞬で大きく変わる事になる。
このオーナーこそ、私の20代の人生に大きく関わり、人生の大きな岐路となり、従ってそれ以降の人生にとっても大きな影響を残した人物である。
スナックのアルバイトなど、未経験だった私は、オーナーに小一時間ほど仕事を教えられて、店を開店する。
数人、数組の客が来て対応するが、どうも様子が違う。
2時間ほどして“R”がゲイバーだと気付いた。
そして、私を誘った高校時代の悪友は、それを知って逃げたのだとも気付いた。
それでも約束したのだから、閉店まで手伝った。
終電が終わっているので、言われるままにオーナーのマンションに泊まる。
案の定、手を出されたが、きっぱりと拒み、アルバイトは続けるが、その気は全くないので、そういう事はしないでくれ、と承諾して貰う。
何もゲイバーなどでバイトしなくても、幾らでもあっただろうが、楽天的な性格で、まあ、良いか、と想ったのが、人生の過ちの始まりだったかも知れない。
いや、あながち、過ちとは言えないかも知れない。
が、高校時代、ある事件を経験して、どんな人生でも山や谷があって、頂上があって挫折があり、幸不幸がある、と、ガキながらに悟っていたので、気にしない事にした。
翌晩から、オーナーが常連客は勿論、一見の客にも、私がホモセクシュアルではない事を説明してくれたので、普通のスナックのアルバイトと変わらない状況で仕事が始まったのである。
しかし、奇抜なファッションで有名なK.Sにカウンター越しにキスをされたり、日活の中堅の俳優にしつこく誘われたり、行き付けになったゲイバーのママ(勿論、男性)に、道端で出遭う度に、人目も憚らず抱き締められてキスを迫られたりした。
そんな中で、ゲイバーなのに女性の常連客がいるのも知った。
35歳くらいだったろうか、化粧が濃かったが、所詮19歳の童貞である私には、妖艶な美人に見えた。
名前は記憶にないが、「おばちゃん」と呼んでいた。
35歳くらいの女性の客に「おばちゃん」は失礼だったかも知れないが、私にとってはそう呼んでも違和感はなかったし、彼女も嫌がるふうではなかった。
彼女は週に2度ほど来て、私が立ち仕事をしているカウンターの端に掛けて2時間ほど飲んで帰った。
最初は女装のホモかと疑っていて、本人に質した事があったが、笑い飛ばされた。
客は当然、ほとんどがホモばかりで辟易していた私にとって、女性客の彼女はすごく貴重であった。
働き始めてひと月過ぎた頃、オーナーがバイト料をくれた。
月10万という最初の約束通りだった。
10万というバイト料は当時の19歳の私にとって、オーナーのマンションに寝泊まりし、私が一緒の時は、三度の食事もご馳走してくれたので、過分なほどであった。
オーナーは恋人が数人いて、皆若かったが、彼らを取っかえ引っかえマンションに連れて帰った。
私は全く興味がなかったが、仕事をしていて客の会話やジョークなどで、ゲイの恋人達がどんなセックスをするのかを知っていたので、オーナーの部屋に泊まる時、リビングルームの反対の部屋でどんな行為が繰り広げられているかは想像出来た。
2カ月目に入ってまもなく、おばちゃんが言った。
「今夜は付き合いなさいよ。オーナーの了解も取ったから」
「付き合うって?」
ホモの相手はお断りだが、彼女なら悪くない。
「お酒飲みに行こう」
彼女が艶っぽく微笑んだ。
何だ、それだけか?
いよいよ童貞喪失、と期待した私は、自分を諫めた。
処が、だった。
閉店後、オーナーと別れ、おばちゃんに連れて行かれたのは“青い〇”というゲイバーだった。
「青」はゲイを現す色だそうで、看板や玄関灯が青であれば、ここはゲイバーですという意味合いであるらしかった。
当時、新宿2丁目の400メートル四方くらいの狭いエリアに、最盛期では2000軒くらいのゲイバーがあったそうだ。
因みに、ゲイには3通りのタイプがあった。
(1) 男性として男性を愛する(女装しない)
(2)女装して男性を愛するのと男性として女装している男性を愛する
(3)女装している男性同士が愛し合う
最も多かったのは(1)である。
これも聴いた話だが、女性も含む同性愛というのは、その性癖に目覚めるシチュエーションというのが、学生時代のクラブ活動の合宿、同性のみの職場か独身寮、ついで、刑務所であるそうだ。
刑務所に良く入る(失礼)やくざさんに、ホモが多いという都市伝説があるそうだが、全身刺青の厳ついやくざの親分が、子分たちを外に待たせて置いて、ソープランドのお姉さんのサービスを受け始めたとたん、「ち〇ぽよりお尻の孔弄って」とお尻を突き出し、応じてあげると女性のように叫んで悶えると、常連客のソープ嬢に聴いた事がある。
出された酒は全て高級品で、安酒しか飲んだ事のない私は、店内の妖しい雰囲気とおばちゃんとのチークダンスにときめいて前後不覚に酔っ払ってしまっていた。
そして意識を取り戻した時、私のそれからの人生観、女性観を決定付ける光景が、私の眼の前で展開されていたのだ。
酔いにぼやけた視界の中で、ラーメン丼のような二つの乳房とビヤ樽のようなぜい肉腹が躍動していた。
そして、自分がホテルのベッドに仰向けに横たわり、おばちゃんが私の上に跨がり、セックスしているのだ、という事を理解した。
(続く)
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