KY男と鈍感女の恋-第10話
作家名：くまあひる
文字数：約3050文字(第10話)
公開日：2020年7月1日
管理番号：k029
１６
16.
それから俺たちは順調に時間を共有し、恋人たちの時間を過ごした。
俺が描いていた幸せそのものだった。
早く恋人から妻にしたい。付き合い始めからそう思っていたがその思いはますます強くなっていった。
月曜日常務から呼ばれ、海外勤務の打診を受けた。
去年も同じ打診があったが、海外勤務は妻帯であることが暗黙の条件だ。
市子以外と結婚するつもりもなかったし、出世のために好きでもない女と結婚するつもりも毛頭なかったから辞退した。
「まだいい人は現れんかね・・・・なんなら私が世話してもよいが」
「前向きに考えさせてください。今月中にお返事いたします」
市子は一緒に来てくれるだろうか。
おそらく３年から5年の駐在になるだろう。
これからのこともあるし週末ゆっくり話せるときに話そう。
だが、俺はこのことを激しく後悔することになる。
木曜日、“今晩お時間ありますか？”とメッセージが送られてきた。
ちょうどいい機会だ、転勤の件を話そう。そしてプロポーズしよう。
ウキウキしながら待ち合わせの居酒屋に向かった。
反比例するように目の前に座る市子はいつもの笑顔は見せてくれない。
「市子、調子が悪いのか？」
「課長、海外へ行かれるんですか？」
誰にも言ってないのになぜ市子は知っているんだろう。
「ああ、海外勤務受けようと思うんだ。だから・・・」
「・・・課長は海外勤務になるから結婚したいんですか？」
「海外勤務は既婚が前提だからな」
「そう・・・ですか。
課長、こうしてお会いするのは今日が最後です。
近々、退職しようと思います。失礼します」
市子は席を立ち、そのまま一度も振り返ることなく去っていった。
今日で最後ってどういう意味だ？
超遠距離になるのが不安なのか？
それとも海外に一緒に行くのが不安なのか？
いや、そもそも市子は誰からこの話を聞いたんだ？
内示でもないまだ打診の段階だ。
社内でもオフィシャルにされてないのに。
市子に別れを告げられてしまったが、正直まだ現実味がない。
このまま結婚まで何の障害もなくたどり着くと思ってた。
市子も恋愛と結婚を別に考えるタイプではないし、俺の会話の節々に２人の未来を重ねる内容があっても市子は頷いてくれていた。
もう一度市子と話さなければ・・・。
携帯を鳴らしたとき俺は初めて自分の置かれた状況を思い知った。
着信拒否・・・SNSもメールもすべてが市子との関係が終わったものだと教えてくれた。
事態は自分が思っているよりも深刻で、市子が俺のそばからいなくなるという恐怖が俺を襲ってきた。
明日、もう一度市子と話そう。
朝、出勤すると野村がやってきて
「花井さんは体調不良でお休みです」
「なっ、休み？」
「はい」
「わかった」
野村も何も言わずデスクに戻って行った。
朝、市子に連絡を入れてみた。
もしかしたら思い直してくれているかもしれない。
もしかしたら昨日の着信拒否は何かの誤作動だったのかもしれないと淡い期待をしてしまったが結果はおなじだった。
仕事が手につかない。
市子は大丈夫だろうか。
出来ることなら今から市子の部屋に行って様子を確認したい。
昼休みに野村を捕まえて市子の容態を聞いたが、風邪じゃないんですか？と一言だけだった。
定時でカバンを掴み会社を出た。
市子のアパートに直行したが、インターフォンを鳴らしても応答がない。
もしかして倒れているのではないだろうか。
どうしたらいい？警察？不動産会社？救急車か？
携帯を持った時に青山から着信が入った。
「課長、今どこですか？もしかして花井さんとこですか？」
「あ、ああ。なぜ知ってるんだ？」
「いないでしょ」
「お前、なんか知ってるんだな。教えてくれ！
市子は大丈夫なのか？おい！」
「あー課長・・・今日、晩飯ご一緒していいですか？」
「のんびり飯食ってる場合じゃない。市子はどこにいるんだっ！」
電話の向こうから大きなため息が聞こえてきた。
「まったく・・・誰のせいでこんなことになったと思ってるんですか！
そんな半狂乱になるんならどうして・・・。
課長、いつもの店に来てください」
そう言って電話は切れた。
どういう事だ、青山が何か知っている・・・？
ということはその後ろには野村や江口がいるってことか・・・。
まったく何もわからなかった状況から、市子と親しい人間の名前が出てくると彼女が無事と分かったわけではないが、少なくとも市子の現状を知っている人間がいるということにホッとする。
踵を返し、指定された店に急ぐ。
もしかしたら市子もそこにいるのかもしれない。
期待に胸を膨らませて、小走りになってしまう。
息を切らせて、店に入るとそこにいたのは元井と青山だけだった。
期待を粉々に砕かれ、がっくりと肩を落としてしまう。
「課長・・・もしかして花井さん来てると思ってました？」
「青山は市子がいまどうしているか知ってるのか？」
「いや、知らないです。でも真理子、あ、野村さんたちがかんでいるのは
間違いないですね。だから全くの消息不明じゃないですよ」
「何があったんです？愛菜に聞いても知らないの一点張りで」
「・・・・・」
「もしかして、海外赴任がらみですか？」
「何で知ってるんだ？」
「課長の海外赴任の話が出ているのは去年から皆知ってます。
海外は既婚者が前提だから課長が断ったっていうのも。
常務が秘書の女の子何人かに課長が海外赴任したいからお見合いしないかって声かけたそうです。
課長も前向きだとか。
たまたまその中の一人がこの前の合コンに参加していたコで花井さんや真理子たちにその話をしたそうです。
彼女自身は合コンの中の一人と付き合い始めたので断ったそうですが、中には乗り気なコもいたようで。
まぁ、役員に見合いセッティングされたらほぼ決定ですからね。
しかも、あの常務は自分が紹介して成立したヤツを子飼いとしますからね。
それはそれで常務に認められたということですけど。
花井さんはその話を無言で聞いていたそうです。
帰り際に愛菜に“やっぱり私じゃダメみたい”と寂しそうに笑ったそうです。
花井さんも去年から課長の海外赴任の話は知ってます。
だからきっとプロポーズされて、一緒に行こうと思ってたはずです。」
「何で花井さんに一番最初に言わなかったんです？」
「週末、ゆっくり話そうと思って。
まさか、他から市子の耳に入るなんて思ってなかった。」
「花井さんにプロポーズしたんですか？」
「言う前に“別れる”、“仕事も辞める”と言われた」
「マジですか、じゃあ別れたってことですか？」
「・・・・」
「あの、課長。花井さんにどう説明したんですか？」
俺はありのまま市子とのやり取りを話した。
「・・・・」
「・・・・」
「課長・・・肝心の話をしてないじゃないですか！
花井さんと結婚して一緒に来てほしいって」
「課長、花井さんは課長が海外赴任承諾＝常務ミッションで秘書とお見合い＝自分は邪魔
という計算式になったはずです。きっと身を引いたんでしょうね。
課長のために・・・健気ですねぇ」
「何言ってんだ！市子を捨てるなんてあり得ない。
俺が海外にいこうが行くまいが市子と結婚する。
何の約束もせずに市子を置いてったら、他の男に狙われるだろうが。
結婚して名実ともに俺の妻にしとかないと心配で仕事にならない。
だいたいあんな見合い爺の子飼いになるつもりなんてサラサラないし
それで冷や飯食うんなら転職したって構わない。
苦労するかもしれないけど、市子のほうが大事だ」
市子がいない人生なんて考えられない。
悶々と考えても全然考えがまとまらない。
青山たちと別れて帰り道、もう一度市子の携帯を鳴らすが市子の声を聞けることはなかった。
（続く）
※本サイト内の全てのページの画像および文章の無断複製・無断転載・無断引用などは固くお断りします。
メインカテゴリーから選ぶ
ショップインフォメーション
お支払い方法について
