KY男と鈍感女の恋-最終話
作家名:くまあひる
文字数:約5370文字(第11話)
公開日:2020年7月6日
管理番号:k029
17
土曜日、何もする気になれず、ゴロゴロすごしてしまう。
会いたい、市子の優しい笑顔が見たい、声が聴きたい。
抱きしめて市子の体温を感じたい。
一人でいることがこんなに寂しいなんて。
市子・・・どうしている?
怒っているのか?裏切られたと絶望しているのか?
泣いてはいないだろうか・・・。
絶対幸せにすると約束したのに。
俺と付き合って後悔なんてさせないつもりだったのに。
ずっと笑っていて欲しかったのに・・・。
夕方、いてもたってもいられず、もう一度市子の部屋を訪ねたが、やはり応答はなかった。
帰り道、アパートの駐車場あたりで並んで歩く男女の姿があった。
「荷物はあれだけか?」
「うん、ありがと。よろしくね」
「じゃあ、また引っ越しの日決まったら言えよ、準備しとくから。
早く一緒に暮らしたいな、皆喜ぶよ」
二人が並んで歩く距離はその親密さがうかがえる。
その男は県外ナンバーの車に乗り、手を振りながら帰って行った。
してはいけない妄想が頭をよぎる。
あれは新しい男なのか?
いや、市子はそんな女じゃない。
でもあの親密ぶりは短い期間で出来るものではない。
フタマタ?
それも違う気がする。
でも・・・市子はもう引っ越しまで決めて俺から離れていこうとしている。
見切られてしまったということなんだろうな。
もう一度ちゃんとプロポーズして挽回したかったけど、新しい道を歩こうとしている女を追いかけてもお互い無駄なことなのかもしれない。
仕事まで辞めたいと思わせてしまったのは本当に申し訳ない。
さっきの男の市子を見る目は優し気で市子を大切にしてくれそうだし、市子も信頼しているようだった。
俺の出る幕は・・・もうなさそうだな。
隠れていた場所から出て背を向けたとき、「課長?」と呼ぶ市子の声がした。
この声で呼ばれるとやはり心が躍る。
「どうしてここに?」
「市子、俺は一人で海外に行くから、別に会社辞めなくてもいいんだぞ」
「一人で?」
「ああ、市子に振られてしまったからな。っと、こんなこと今さら言ってもだけど」
「秘書課の方と行かれるのでは?」
「何でだよ、俺は市子一筋だっただろ!」
犬の散歩タイムなのか、通行人がちらちらこちらを見ていく。
「ちょっと歩こうか」
「・・・・」
「俺は一人で赴任するつもりだ。俺はあそこからいなくなるんだから
居心地も悪くないだろ」
「海外に赴任したいから相手が必要だったんでしょう?
だから、モテない私に声をかけたんでしょう?」
「?」
「でも、常務がお相手を紹介してくださるなら私は邪魔でしょう?
私は秘書課の方のように語学が堪能でも、臨機応変に対応できる術があるわけでもありませんから。海外に行かれるんなら、そういう方のほうがいいと思いますよ」
「だから・・・あんなこと言ったのか?」
「・・・課長は私には何も教えてくれませんでした。
海外赴任の話も秘書課の方の話も・・・それは言う必要すらなかったってことですよね」
「市子、俺のことが信じられない?
俺が出世を選んでお前と別れたがる男に見えるのか?」
「だってっ!課長は何も言ってくれなかった。
転勤の話も、お見合いの話も全部他の人から聞きました。
課長が他の女性を選んで転勤されるのを、笑って見送れるほど私は強くないんです」
「お前は俺の気持ちは考えないのか。
俺が誰と結婚したいかわからないのか。
俺は市子以外と結婚するつもりはないし、市子が海外に行きたくないなら
別にそれでもいいんだ。市子が結婚しないなら俺は誰とも結婚しない。
それに俺は海外赴任がしたくて市子と付き合ったんじゃない。
前に話したの覚えているか?俺が今の課に着任した時のことを。
俺が今の席に着任するにあたり、上層部から前任の課長一派を一掃して
新しく組織を作り直せと命令された。
お前も覚えていると思うが、あの時は前任の所長の組織の私物化が問題になっていて
課員も課長一派で占められてた。
前任者は異動で他店所へ行ったが、残った課員は前課長を慕う者ばかりだった。
俺の指示には従わず、前任者の手法でやりたがる連中に相当苦しめられた。
上からは圧がかかり、下は全くコントロールできない。
自分の無力さにかなりメンタルやられたよ。
体調を崩して会議の前に横になってた俺に、お前が薬を持ってきてくれたんだ。
それから「大丈夫ですよ、課長は間違ってないですから」って言ったんだ。
お前はすぐに去っていったが、恥ずかしながら俺は泣いていた。
一人でも理解者がいると分かっただけで、俺は立ち直ることができた。
その後もお前は、前課長派のプレッシャーに臆することなく俺のやり方に従ってくれた。
ヤツらには色々言われて嫌な思いもしただろう。
お前が独りぼっちで残業しながら泣いているのを何度か見たんだ。
相当嫌がらせもされただろうに、黙って耐えてくれていた。
お前がそうしてくれたから、我関せずでいた課員たちも俺の指示に従うようになった。
俺が今こうしてあの席に座れているのもお前のおかげだ。
そんな俺が市子にオチるのもあっという間だった。
あれから三年、やっと手に入れた市子を俺が手放すわけないだろ。
常務の勧める女性と一緒になったからって幸せにはなれない。
でも、市子と結婚出来たら俺は絶対に幸せになれる。
絶対に幸せにする、幸せにしてくれ、市子」
「常務のお話はどうされるんですか?前向きに考えると言ったんでしょう?
逆鱗に触れるのでは?」
「構わん!前向きに考えると言ったのは、市子と結婚して赴任することだ。
海外赴任だけのことじゃない。
見合い爺より市子のほうが大事だ。そのことは気にしなくていい」
「そんな!ダメですよ。今まで一生懸命やってきたのに」
「大丈夫だ、そんなことにならない自信もあるから」
「ホント?」
「うん、だから市子、月曜日常務のところに一緒に行こう」
「無理です!役員室なんて私は入れませんよ」
「何でだ?俺の婚約者として紹介するんだ」
「海外へは・・・?」
「さっきも言った通り市子次第だ。けど、結婚は絶対だ!」
「私も連れて行ってくれるんですか?」
「行ってくれるのか?」
「私、数日課長に会わなかっただけですごく辛かった。
会いたくて、会いたくて、自分から離れたのに、会いに行ってしまいそうで
縋りついて泣いてしまいそうで怖かった。
だから、江口さんの部屋に泊めてもらって・・・
課長の婚約なんて見たくなかったから、早く会社辞めて引っ越そうと。
あ、引っ越し・・・もう不動産屋さんに解約の連絡しちゃった。
どうしよう」
「いいじゃないか、赴任するまで俺の部屋で一緒に暮らそう」
市子が嬉しそうに笑った瞬間、ハラが音をたてた。
「課長、お腹すいてるんですか?」
「あ、ああ。恥ずかしながら市子に振られてからほとんど食べてない。
ハラが減っていることすら気づかなかった。市子が戻ってきてくれて安心したから」
「ウチでご飯食べましょう、ご用意しますから」
市子の手料理を食べ、身も心も生き返った気がする。
精神的にも落ち着いたところで、気になっていることをはっきりさせたい。
「あのな、その、気を悪くしないでもらいたいんだが、
さっき一緒だった男は誰だ?」
「ああ、兄です。引っ越しの下見に来てくれて」
「一緒に暮らしたいとか言ってたけど・・・」
「実家に戻るつもりにしてたから、兄夫婦や両親も歓迎してくれて」
「そうか・・・すまない、ガッカリさせてしまうな」
「しませんよ、娘が結婚するんですから、大喜びですよ」
「結婚してくれるのか」
「私の片思い歴も課長と同じくらい長いんですよ」
「え?」
「私、課長が着任後、すごく一生懸命頑張っているの知ってました。
以前、課長がノート開いたまま離席されていたことがあって。
見えちゃったんです。
アンチの人たちも出来るだけ排斥せずに今いる場所で活躍できるように
色々考えてらっしゃったこと、個々の能力にふさわしく配置しようとしてらしたこと。
あんなにひどい仕打ちをされても、いつも冷静で穏やかでした。
体調崩すくらいツラいのに、そんな素振り一度も見せなかった。
私がわざと残業させられてた時、結構つらかったけど
課長は毎日そのツラさに耐えてお仕事されてるんだと思うと
私も頑張らなきゃと思いました。
立て直しに成功されたとき、課長は私のところへわざわざ来て
「ありがとう」って言ってくれたんです。
課長はちゃんと見ていてくれたんですね。
私、うれしくてトイレで泣いちゃいました。
私はあの時、課長にオチました。
それからずっと片思いでした。
去年、課長の海外赴任話が出た時、目の前が真っ暗になりました。
手の届かないところへ行ってしまうって。
最初から手が届く人じゃないってわかってるつもりでしたが
課長が辞退されたと聞いて申し訳ありませんが、
課長とお付き合いしているときも、ずっと海外赴任のことは気になってました。
一緒に行こうって言ってくれるかすごく不安でした。
私は何も出来ませんから。
そしたら、常務のお見合いの話を聞いて。
ショックでした。
何も聞かされてなかったから、私は対象外なんだと。
それに常務からのお話断るなんて、今までの努力が台無しになっちゃう。
だったら・・・」
「バカ、俺は市子以外いらない。市子の代わりは誰にもできない。
そばにいてくれ、市子がいたらどこにいても頑張れる」
「そばにいたいです・・・ずっと」
お互い重ねた唇は、幸せを紡いでいた。
18
月曜日、早々常務にアポを取り、常務室に向かう。
市子は気後れしているらしく表情は硬い。
「そんな顔するな」
「でも、常務の逆鱗に触れたら・・・」
「大丈夫だ」
そう言ってノックして入室すると、常務は待ち構えていたようで、秘書にすぐに座るよう促される。
常務は市子を見て、一瞬怪訝な表情を浮かべた。
「藤堂課長、この前の返事かね?」
「はい、喜んで拝命いたします。
この度、ここにおります花井市子と婚約致しまして、赴任地へは同行致します」
「なんと、花井君が君と?」
「はい、認めていただけますでしょうか?」
「う、うむ・・・」
歯切れの悪い常務の様子を見て、市子が下を向いてしまった。
常務は自分の手帳を開いて、予定が狂ったとか、相手を探さなければとブツブツ言っている。
「常務?」
「ああ、すまない。花井君、婚約おめでとう。これからも藤堂課長を支えてやってくれ。
しかし花井君か・・・残念だ」
「残念とはどういう意味ですか、常務」
聞き捨てならない言葉に眉間にしわがよる。
「うん、実は花井君は秘書室の波岡係長にどうかと思ってたんだよ。
波岡も年頃だろ、だが仕事が忙しいので出会いがないというので
社内で誰かいい子はいないのかと聞くと、花井さんと即答したので
近々、声をかけようと思ってたんだよ。波岡が泣くな、こりゃ。
ああ、藤堂課長そんな顔しなくていい。もちろん私は二人を祝福するよ。
内示は一か月後、赴任は引継ぎが終わり次第ということで構わんよ」
「ありがとうございます。では、失礼致します」
常務室から出ると、市子はほっとしたらしく、大きな息を吐いた。
「よかった、認めていただけて、課長」
「ああ、しかしこれじゃ、俺じゃなくて市子のほうが狙われてたってことだな」
しかも秘書室の波岡・・・、相当のキレモノと聞いている。
よかった、早々に常務に挨拶しといて。
タイミングが悪ければ市子を横取りされるところだった。
19
例の4人に海外赴任を受けたことと、市子と婚約したことを報告すると早速、祝賀会を開いてくれた。
皆、口々に祝福の言葉をくれた。
「お前たちには感謝している。二人で赴任できるのもお前たちのおかげだ」
「ほーんとですよ、手のかかる上司と同期でしたから」
「課長、大事にしてくださいよ、市子のこと」
「もちろんだ!」
「コレ、婚約祝いです!喜んで頂けると嬉しいんですけど」
「開けていい?」
慌てて野村が止めに入る。
「家に帰って課長と2人で開けてね。絶対1人で開けちゃダメだからね」
頷きながら心から嬉しそうにお礼を言う市子だが、江口の口元は震え、元井と青山の目は泳いでいて挙動不審だ。
なにか企んでいそうな雰囲気だが、無邪気に喜んでいる市子を見ると咎めるのも無粋だろう。
俺の部屋に帰り、市子は早速、例のプレゼントを開け始めた。
子供のように目を輝かせながらリボンをとり、包装紙を開けると市子は無言になった。
「何だったんだ?」
「えっと・・・その・・・・」
真っ赤になって固まっている市子から箱を取り上げる。
あいつら・・・そういうことか。
一見、真っ白なレースのソレは清楚でウエディングドレスを連想できなくもない。
けれど、手に取ってみると、その丈と露出は花嫁が着るものとは思えない。
少々シャクな気もするが、ありがたく使わせて頂くとしよう。
「市子、コレ着てみて」
ちぎれるくらい首を横に振る市子は、俺を見ようともしない。
隣に座るように促し、市子を膝の上に横抱きにする。
耳に舌を這わせながら、
「着て見せて、きっと似合うと思うよ」
白くスベスベの太ももを撫でまわし内腿に手を入れるとびくりと体を震わす。
はぁっと息を零し潤んだ目で、自ら舌を絡ませてくる。
「寝室で待っててください」といってバスルームへ向かった。
しばらくして戻ってきた市子は、さっき俺が脱いだと思われるワイシャツを羽織っていた。
そのシャツを床に落とすと、恥ずかしそうに前に腕を組む。
「キレイだ。愛してる、市子」とささやくと俺の耳元で「愛しています」と途切れがちな声が聞こえた。
(終わり)
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