苦手な課長に犯されて-1話
作家名:蜜絵
文字数:約3390文字(第1話)
公開日:2019年12月4日
管理番号:k017
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「おい、松原」
課長の柳瀬が呼んでいる。
その声に、私は思わず居住まいを正す。
オフィスでは、プリンターの動く音や、人の会話などでざわざわとしている。
そんな朝の忙しい喧騒ももろともせず、10メートル離れた席からの課長の声は一直線に聞こえてくるのだ。
「ちょっと来い」
「はいっ」
私はすぐさま立ち上がって、課長の席まで行く。
また怒られる。
「なんでしょうか」
「なんでしょうか、じゃない。なんだこの資料は。ちゃんと読み返したのか?」
課長の眉目麗しい顔が「おまえはばかか」と言わんばかりに歪んでいる。
だが、私は資料に目を通すも、何を怒られているのかがわからない。
「わからんのか」
課長の呆れたような声が胸に刺さる。
「すいません……わかりません」
課長はまだ20代。
入社5年目で課長の座にまで上り詰めた敏腕。だが、それゆえか、能力のないものが理解できないのか、部下には物凄く厳しい。
今も、私が怒られることで部の空気は張り詰めていた。
みんなにも迷惑をかけている。
思えば、怒られているのはいつも私ばかりなのだ。
入社3年目だというのに、1年目の小宮よりもよく怒られている。
「誤字脱字。参考文献の記載がない。数字は半角に揃えろ。引用した本のタイトルには「」をつけろ。前にも言わなかったか?」
「すいません。注意不足でした。すぐやり直します」
「あと30分でやれ」
「はい。すいません」
自席へ戻ると、自然とため息が出た。
「幸恵さん、また怒られちゃいましたねー」
後輩の小宮がニヤニヤしながら小声で話しかけてきた。
小宮は要領が良いからあまり怒られることはない。
それに顔も可愛くって、スタイルもいい。
私にはないものばかり持っている。
「課長って、なんだか幸恵さんには厳しいですよね」
「そうかな。私がダメなだけだよ」
「ま、気を落とさないでくださいよ。それより、今日の飲み会って、幸恵さんも行きます?」
「あ、今日だっけ。うん、一応出席」
「そうなんですか。そしたらまたバトルかもですね」
「え?」
「課長、欠席だったじゃないですか。でも、出張が延期になったから今夜来るって」
「ええ、そうなの」
お酒は好きだから、飲み会は嫌いなほうじゃない。だから課長が来ると聞いて、急にがっかりだった。
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そして、そういう風に思っていると、逆にこういうことになるのだ。
忘年会の席。
くじ引きだったにも関わらず、見事に私は課長の隣の席を引いた。
「あの、どうも」
おずおずと課長の隣に座る私に、課長は一瞥もしない。
「ギリギリだぞ。時間には余裕を持ってこい。仕事にもそういうところが現れるんだ」
遅くなったのは、一人残って会社の戸締りをしてたせいで。
とは、言えない。
「すいません」
私が何を話していいかわからずうつむいていると、課長をはさんでその隣に座っていた梶村さんが話しかけてきてくれた。
「松原さん、今日かわいいね」
「いえ、そんな」
私服を皆に見せる機会があまりないから、きっとそう思うのだろう。
オフィスでは、制服だ。
「それじゃあ、みなさんおそろいのところで乾杯の音頭に入りたいと思います。では課長、よろしくお願いします」
指名された課長は立ち上がる。
課長は背が高い。
幹事の係長と並ぶと、頭一個分も違う。
脚も長い。
ここにいる男性社員の中では3番目くらいに若いはずなのに、既に課長。
係長だって、課長の倍以上年上だ。
改めて、課長はすごい人なんだと思う。
乾杯のあいさつも、短すぎず長すぎず、コンパクトに言いたいことだけまとまっている。
この人なら、こんな大企業でも課長になれるはずだ。
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結局私は課長の側を離れたくて、みんなに注ぎに回った。
係長が酔っ払って日本酒を10本も頼んだから、さっさと空けなければいけない。
飲み放題だからって残酒をたくさんするのはマナーが悪い。恥ずべきことだ。
だが、まだお銚子が5本も残ったところで、時間が来てしまった。
「それじゃあ、みなさん、宴も酣ですが、お時間なんで。まだ飲み足りない人は二次会用意してありますんで〜」
幹事がそう言うので、私は飲み足りないならまずここの酒を飲めと言ってやりたかった。
頼んだ当の課長はもうとっくに店を出てしまっている。
「松原さん、二次会は?」
幹事が声をかけてきたが、
「私はこれで」と断り、私はその場に残った。
静かになった宴会場を見渡すと、食べ残しばかり。
もったいない。
私は、まだまるまる5本も残った銚子を集めて、コップにあけて飲みはじめた。
片づけの人が来る前に、全部飲んでしまわなければ。
そう思うと、自然に一気飲みになった。
2本、飲み終わったところでちょっとクラクラしてきた。
「おい、おまえ、何やってんだ」
急に声をかけられ、私は思わずむせそうになった。
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戻ってきたのは、課長だった。
「課長、なんでここにいるんですか。二次会に行ったんじゃないんですか?」
「幹事がお釣りをもらってこなかったというから、取りに来たんだ。おまえこそ、飲み足りないなら二次会に行けばいいだろう。なにあさましいことしてる」
その言葉はいくら課長でも聞き捨てならなかった。
「残酒を整理するのが、あさましいことですか!? このお酒を造ってくれた人、出してくれた人のこと、課長は考えたことあるんですか!?」
「なに?」
課長が威圧的に眉をしかめたが、私は止まらなかった。
「あさましいっていうなら、飲み放題食べ放題だからって、頼むだけ頼んで大量に残すほうがあさましいじゃないですか。そっちのほうがよっぽど恥ずかしいことだと思いますけど」
「なにムキになってんだ」
課長は起こるかと思えば、呆れたように言って私の隣に座った。
「おまえが言ってることは正しいが、無理して飲むことないだろう。躰を壊すぞ」
おまえの言ってることが正しい?
課長に初めて認められた気がした。
「どうした」
そんな、いつもないような優しい声色で言われると、課長が良い人のように思えてしまう。
「私、実家が居酒屋なんです。父や母が一生懸命朝早くから仕込んだり、仕入れたりして一生懸命作ったものを、お客さんって平気で残していくんですよね。お酒だって、頼むだけ頼んで、口もつけないで残していく。そういうの、酷いなって思って見てたから、自分は同じことしたくないんです」
「そうか。でも、その酒はおまえが頼んだんじゃないんだろ?」
「係長です」
「相崎さんか……」
課長も一腹あるのか、軽いため息をついた。
「あの人は面倒だからな。あまり関わるな」
課長の口からそんな言葉が出るとは、意外だった。
「よし、俺にも注げ」
課長が私のグラスをとって、差し出してきた。
「え?」
「え、じゃない。俺も手伝うって言ってるんだ」
「でも、」
「相崎さんな。俺が止めれば良かったんだが、そこまで気が回らなかった」
たしかに、係長の相崎を止められるのは柳瀬課長しかいない。
「ほら、早く注げ。大体おまえ、今日俺に1回も注いでないだろう」
「え、あ、そ、そうでしたっけ」
私は慌てながら、課長のコップになみなみと日本酒を注いだ。
「そうだ。隣にいたのにさっさと逃げやがって」
課長は冷酒を一気に飲み干す。
「いや、そういうつもりじゃなかったんですけど。すいません」
私は流れで課長におかわりを注ぐ。
「おい、マジかよ。これあとどんだけあるんだ。日本酒だぞ?」
「えっと、今3本目なんで、あと2本です」
「嘘だろ――」
課長は顔をしかめながらも、残りの3本、全部一人で飲んでくれた。
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店を出るところまではしっかりしていた課長だったが、冷酒の一気飲みが効いたのか、タクシーを拾おうとしているところで急にしゃがみこんでしまった。
「大丈夫ですか、課長」
「大丈夫じゃない。今車に乗ったら吐く」
「ええ。お、お水。私お水を買ってきます」
コンビニに走ろうとする私の腕を、課長が掴んで止めた。
「いい。夜中に一人で歩くな」
なんだろうか。この意外な優しさは。女子にも冷たい課長だと思っていたのに。
苦しむ課長が、なんだか可愛く思えてくる。
「でも……」
「おまえはいいから帰れ。俺は歩いて帰るから」
課長はそういうと立ち上がり、私にタクシー代を渡すと、
「じゃあな」
と、フラフラと歩いていった。
だがその足取りは完全に千鳥足で、見てられない。
そうなったのも、自分のせいだ。
どうしよう。
そう思って見守っていると、課長の歩いているすぐそばにファミレスがあった。
私は走って課長に追いつき、無理やりそのファミレスに連れ込んだ。
(続く)
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