生保セールスレディの秘密-1話
作家名:バロン椿
文字数:約3020文字(第1話)
公開日:2020年11月13日
管理番号:k063
生保レディというより「保険のおばちゃん」と言った方がなじみがあるかも知ません。そんな彼女たちも「はい、今期は2倍が目標ですよ」と高いノルマを課せられ、暑い日も寒い日も、雨の日も雪の日も、「こんにちは!」と明るい笑顔でセールスに励んでらっしゃいますが、それだけでノルマは達成できるのでしょうか? あの手、この手の創意工夫で攻めるが、時には禁じ手の「枕営業」も……
保険セールスの秘密
桜が終わっても、花壇にはチューリッブ、ヒヤシンス、アネモネが続いて咲き誇り、街路樹ではハナミズキ、そして藤には紫色の小さな花が房のように纏まって枝から垂れ下がり、行き交う人々の目を楽しませてくれる4月下旬。
世の中はもうすぐゴールデンウィークと沸き立っているが、ここ、グローバル生命の東京北支社の大会議室にはセールスレディ41名が揃い、ピーンと張り詰めた空気の中、定例の月次営業推進会議が始まった。
「それでは先月の営業成績を発表します」
「第1位は久保田(くぼた)範子(のりこ)さん、頑張りましたね。第2位は僅差で片山(かたやま)さつきさん。来月は逆転かな?」
「あ、いえ、久保田さんには敵いません」
「ははは、先輩だからって遠慮は要らんぞ」
前田みゆき課長が成績を読み上げ、適宜、支社長がコメントしていく。
「第3位は木村(きむら)由美(ゆみ)さん」
ここまでは常連組だが、第4位に山本(やまもと)和代(かずよ)が食い込んできた。
「へえ、頑張ったなあ。セールスの腕をあげたなあ」
「あ、いえ、まだまだです」
支社長から直々にお誉めの言葉を頂いた山本和代は頬を赤らめていた。
彼女は高校2年の息子と暮らす43歳のシングルマザー。
ようやく営業成績が安定し、歩合給が増えたお陰で生活にゆとりが出てきた。
一方、成績の芳しくない者たちは気が気ではない。
「全く嫌になっちゃうわ」
「ほんと。後で課長からぎりぎり詰められるかと思うと生きた心地がしないわよ」
「だいたい、目標が高過ぎるのよ」
こんな声が後ろの方から聞こえてくるが、成績上位の者たちは様々な努力をしたからこそ成果が上がっているのだ。
例えば、第1位の久保田範子(くぼたのりこ)は家庭も大事にして、公務員の夫と小学生の娘がいる37歳の主婦でもあるが、都合がつく限り、休日、夜間も厭わずお客様回りをする。
第2位の片山さつきは久保田範子の一つ年下だが、これまでホステスなども経験し、そのお蔭で、どんなお客様でも口説き落とせる会話力がある。
第3位の木村由美はきめ細かなお客様へのアフターケアも忘れない。
久保田範子と同様、銀行員の夫と中学生の娘、小学生の男の子の母親でもあるが、とても若々しく、40歳には絶対に見えない。
しかし、それだけで、これだけの成績が残せるのか?
「枕営業」
口には出さないが、この手法を採り入れている者は必ずいる。
「あ、社長さん、先日はどうも……え、無事に帰れたかですって?ふふふ、それは内緒です」
「部長さん、15番ホール、ナイスショットでしたね。また、ご一緒させて下さい」
社内では彼女たちのこんな会話が飛び交っているが、その本当の中身は当人以外は誰も知らないし、知ろうともしない。
それぞれのセールス手法には口を挟まないという紳士協定ならぬ、「熟女協定」が成立しているからだ。
職場セールスの秘訣
「行ってきます!」
今日も訪問予定先の状況を確認し終えたセールスレディたちが出掛けていくが、彼女たちはセールス先に合わせ、化粧や服装を工夫している。
マスコミなど、所謂「業界人」が相手の場合は派手目の格好でも良かろうが、公務員が相手の場合はそうもいかない。
「今日は市役所、消防署、それから警察署に行って来ます」
前田みゆき課長の前に立った山本和代は訪問予定表を手にそう報告していたが、その出で立ちは控え目な紺の上着と少し短めのタイトスカートだ。
「どうなの、取れそう?」
「市役所は総務課長さん次第なので、今日はそこを攻めたいと考えています」
「ああ、杉山課長さんね」
「ええ、そうです。よくご存知ですね」
「あの方が係長になられた頃に、一度、ゴルフをご一緒したことがあるの。ふふふ、お好きな方だから」
前田課長は手元の書類を見ながらも、含みのあるような変な言い方をしていた。
山本和代は当然、ピンときた。
だが、室内には他のセールスレディも残っているから、返す言葉にも注意が必要だ。
「ゴルフが、ですか?」と微笑む山本和代に、「違うわよ。あら、嫌だ。変なこと、言っちゃって」と前田課長も笑い出し、「早く行きなさい」とばかりに、手で追い払う仕草をした。
分り合える上司と部下。
「それでは行って参ります」
山本和代はそう言って下がったが、その顔には「アドバイス、ありがとうございます」と書いてあった。
「あ、そういうことですか?」
「ははは、山本さんは勘が鋭いなあ。まあ、立ち話もなんだから、こちらへどうぞ」
市役所を訪れた和代は真っ先に向かったのは、勿論、杉山総務課長のところだった。
「課長さんは大変ですね」
「そうでもないがね」
応接に通され、向かい合って座ると、彼は和代の膝頭の辺りをチラチラと覗いている。
前田課長の言ったことは本当だ。
それならばと、山本和代はわざとペンを落とした。
「あ、ごめんなさい」
一旦、腰を上げてしゃがみ込むが、脚を大きく開く。
すると、予想通りに課長は「お、おおお……」と身を乗り出してくるが、目が合うと「私は見てません」と慌てて視線を逸らした。
「バカじゃないの」と思いつつも、ここは「失礼しました」とスカートの裾を直しながら、ソファーに深く座る。
そして、「あら、赤くなっちゃった」と呟き、膝の辺りを擦る。
杉山総務課長はちょっと期待して再び膝頭の辺りをチラチラと覗いてくるが、目を合わせてはいけない。
それが彼に対するエチケット。
これで、市役所内で職員向けのセールスをしても、杉山総務課長は咎めはしない。
しかし、企業の団体生命保険セールスではどうだろうか?
キーパーソンは財務部長、あるいは財務担当役員になるが、スカートの中をちらっと見せても、契約が有利になることは絶対にない。
別の方法が必要だ。それは、やはり、あれか…
団体生命保険取引の秘策
「朱美さん、ちょっと時間ある?」
訪問セールスを終え、自席で今日のセールス日誌を書いていた田島(たじま)朱美(あけみ)を、遠くから前田みゆき課長が呼んでいる。
田島朱美は今年で41歳になる。
5年前、自分の浮気が原因で離婚し、高校2年生の娘はいるが、夫に親権を取られてしまったので、以来、マンションに一人住まいだ。
そんな彼女だが、特別なセールス力がある訳でもない。
美人だが寄る年波に押され、容色は確実に衰えている。
だが、不思議なことに、与えられた営業目標は必ずクリアする。
「どうして?」
そう思う社員は少なくないが、ベテランさんはその秘密を薄々知っている。
そう、「枕営業」だ。
それも、自分で仕掛けるのではなく、前田課長が掴んだチャンスを決める時、その「身代り」として汚れ役を文句も言わずに担っているのだ。
だから、営業会議で支社長や前田課長から叱られることはまずない。
今日もまた、どこの大企業の幹部を相手にしろと言うのか。
まあ、40の女盛りの湧き上がる性欲の捌け口としては物足りないが、悪いことはしないし、体面があるから秘密は絶対に漏れない。
それに契約が取れれば、「田島さん、お手柄ね」と褒められ、本社宛の営業報告には「課長を補佐した田島社員のきめ細かなセールスがお客様に評価された」と記入される。
内心では、「またなの……」という思いでいっぱいだが、背に腹は変えられない。
笑顔に切り替え、「はーい、今、行きまーす」と返事すると、課長の席に向かった。
「何の件でしょうか?」
課長の前ではこう言うが、彼女の机の上には「明日午後7時、旅館きよむら、茜商事 常務取締役 兼子勇」とメモが置いてある。
(続く)
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