犬を連れたファザコン美女-前編
作家名:カール井上
文字数:約3000文字(前編)
公開日:2020年10月13日
管理番号:k061
春分を過ぎて日が長くなってくると、気温も上がり、日課のウォーキングにも熱が入る。一時間ちょっとの運動で、大量に発汗し、一キロ以上の減量になる。
そのあとすぐに水分を補給するので、実質は数百グラムの減量だが、健康には大いに資するものだ。
また代謝を高め、体温を上げ、免疫力が高まり、インフルエンザ、あるいは最近流行の厄介なウイルス性肺炎等への感染リスクもかなり低減できる。
この一時間のウォーキングの間に、毎日、かなりの数の犬の散歩の人とすれ違う。
犬好きであれば、見る犬、見る犬可愛くて、近寄って撫でたくなるだろうが、自分はそうではないので、いつも横目で見るだけで通りすぎる。
小さな犬もいれば、飼い主より大きな犬もいたりといろいろだ。
ウォーキングの目的地は池のある公園だ。
四季の移ろいに応じて、桜が咲き、紅葉が美しい、毎日通っても飽きない場所だ。
写真愛好家にも好まれているようで、三脚に一メートルはあろうかという望遠レンズを装備したカメラマンが何人もいる。
何を撮影しているのかはあまり興味がないのでわからない。
そしてその公園でも多くの犬の散歩に出くわす。
どの犬もよくしつけられていて、飼い主の歩く通りに歩いている。
吠えたりする犬はほとんどいない。
ある時、めったにそんなことはしないのだが、池のほとりのベンチに腰かけて小休止していた。
池にいる亀や水鳥を眺めるのもたまにはいい。
ふと見ると、左の方から、犬を連れた女性が歩いてくる。
リードはしっかり握っているが、スマホの操作に夢中のようで、あまり進む方向を見ていない。
メールの打ち込みが佳境のようで、歩く速度が遅くなり、自分の前でほとんど止まってしまった。
犬が自分の方を見て、足元にじゃれついてくる。
歩いているのに飽きてしまって、誰かに構ってもらいたいのだろう。
賢そうな顔をしたコリーが口を開けて長い舌を出して、自分を見上げている。
飼い主は完全に立ち止まってスマホを見入ったままだ。
実は、噛みつかれやしないか、という恐怖心があり、犬に手を近づけたりすることはまず無いのだが、あまりにもしっかり見つめてくるので、ちょっと手を伸ばして頭を撫で、アゴをさすってやった。
なんとなく嬉しいらしくて、息使いが少し激しくなり、シッポを盛んに振っている。
吠えたりしないからこちらも安心だ。
後ろ足を曲げて腰を下ろしてしまった。
その時ようやくスマホから目を上げた飼い主が犬の様子に気付いた。
そして自分にも。
「ああ、ごめんなさい。気がつかなくって。この子、変なことしませんでした?」
「いえ、別に大丈夫ですよ。おとなしいいい犬ですね。コリーですよね。やっぱりこういう茶と白のコリーがいいですよね。コリーらしくて。見るからに賢そうだ。今は黒白のコリーが流行りのようで、それも悪く無いですが、やはりこの色の方がいいですよ。」
「ありがとうございます。私、子どものときにやはり茶のコリーが家にいて、大好きだったんです。最近また飼ってみたいなと思っていくつかお店を探したらこの子がいて。私も茶のコリーが好きですわ。」
よかったですね、じゃあ、と立ち上がり、立ち去ろうとしましたが、話は終わっていませんでした。
「ソラっていう名前なんです。女の子で。まだ一歳になっていなくって、子どもなんですよ。臆病な子で、知らない人にはじゃれないのですが、優しそうな人は分かるのかしら。」
「まあ、たまたま止まったところに何か面白そうなものというか人がいたからじゃれて見たのでしょう。」
「すみません。私ちょっと急いで返事をしなきゃならないメールが来てしまったので。」
「構いませんよ。それじゃあ。」
といいかけたところに、さらに被せてきます。
「この近くにペットも入れるカフェがあるのご存じですか。もしよかったらそこでコーヒーでもご一緒にいかがですか?」
何故だろう。
たった今、知り合ったともいえない、偶然言葉を交わしただけの男とコーヒーだなんて。
何か訳ありかなと思いつつ、彼女をよく見てみました。
話ながらも実は犬ばかり見ていて、その女の姿はほとんど見ていなかったので。
つばのひろい帽子から出ている髪は肩まであり、顔は縁の太いメガネとマスクのせいであまりよくわからない。
薄手のベージュのコートをまとい、ジーンズにスニーカーという出で立ちだ。
コートがフワッとしていて、体型もまたよくわからない。
それほど太ってはいないようですが。
理由はよくわからないが、コーヒーを飲むくらいならいいだろう、急ぐ用もないし。
ということで、そこから歩いて五分ほどの、ログハウス作りのカフェに向かった。
歩いている間に気付いたのだが、ソラはかなりしつけられていた。
歩く速度を飼い主に合わせ、飼い主の前に行くこともなく、遅れることもなく、ましてや方向違いに駆け出すこともない。
たまに見かける、歩道の端から端へ飼い主を引きずりまわす犬とは大違いだ。
「よくしつけてますね。」道すがらいってみた。
「わかります?ありがとうございます。子どものときに飼っていたコリーも父によくしつけられていて、散歩の時は父の右足からしっかり離れずに歩いていたんです。でも、子どもの私がリードを持つとやりたい放題だったんです。右へ左へと引きずり回されましたの。子どもだと思って舐められていたんですね。」
「賢い犬だとそうなってしまうんですね。多分あなたを妹だと思っていたのでしょう。」
「そうなんですよ。だからこの子にはしっかりいうことを聞いてもらうようにしていますの。」
カフェは他に犬連れの客が三組ほどいたが、犬が吠えることもなく、落ち着いた雰囲気だった。
運ばれてきたコーヒーは苦味が強い濃い味わいだった。
ソラはテーブルの横でおとなしく座っている。
「父に似てらっしゃいますの。」
突然いいだした。
「あのベンチの前でソラがおとなしく座って、シッポを振って、口を大きく開けて嬉しそうにしていて。子どものとき父の前でいつも家の犬がしていたポーズだったんです。そしてフッとあなたを見たときにまるで父がそこにいるかのように見えたんです。」
自分の父親に似ているといわれても、その人を全く知らないので返す言葉もなかった。
なんともいいようもなく「そうですか。」とだけいってちょっと考えてみた。
「ごめんなさい、おかしなことをいって。でも、本当によく似ているように思えて、できるだけ一緒にいて少しでも余計にお話しできたらと思ったのです。」
「おそらく、あなたが子どもだったときは、あなたのお父さんは今の自分よりもはるかに若かったでしょうから、そんなには似ていないと思いますよ。ソラちゃんの姿が以前飼っていらした犬に似ていたからそんな気がしただけでしょう。」
「そうかもしれません、でも・・・。」
そこまでいって黙りこんでしまった。何か訳がありそうだが、あまり深入りしてもと思い、こちらも黙ってしまった。
「父に会いたかったんです。」
暫しの沈黙のあと、そんな言葉が出てきた。
父は彼女が大人になる前に他界してしまい、ずっと寂しい思いをしてきた。
その後も特に暮らしに不自由することはなく今に至ってはいるが、心は辛かった。
そしてさっき、ソラが嬉しそうに見上げている人を見たら、なんとお父さんだった。
いえ、決してそうではないのですが、込み上げる自分の感情を抑えられず、ずけずけ話しかけ、こんなところにまで誘ってしまったというのでした。
(続く)
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