スペシャル・フレグランス-後編
作家名:バロン椿
文字数:約5080文字(後編)
公開日:2020年8月12日
管理番号:k050
浮気の後の甘いコロンの香り。女性の皆様は匂いに敏感。「あなた、何よ、この匂いは!」
妻からの罵声に怯える、老舗化粧品会社の男たちが考えた加齢臭スプレー。さあ、ベストセラーになるか?
月例会
「今年度の税制改正のポイントは以上です。何かご質問は……よろしいですか……はい、それではこれで月例会を終了させて頂きます」
月例会が終われば、恒例の懇親会。
話題はいつもの通り女のことばかり。
「山田さん、最近はどっちに出掛けてる、六本木?銀座?それとも海外かな?」
「ははは、ウチはそんな余裕がありませんよ。それに運転手は親父の代から変わらず、女房のスパイですから、とてもとても、無理ですよ」
「もったいないな、イケメンなのに。いや、実にもったいない」
パフューム・エノモト社長、榎本(えのもと)恭介(きょうすけ)は典型的なオーナー社長。
社業はなんとか黒字になってはいるが、社員の給料は同業他社対比、かなり低い水準。社長の遊興費を抑えれば、十分に給料アップ出来るのだが、そんなことは考えたことも無い。
それどころか、自宅のマンションは社宅扱い、自宅のベンツも社用車。
こうして貯め込んだ金で、各地の工場付近には秘密のマンションをこれまた社宅扱いで保有し、そこに女を家政婦として住まわせている。
こんな遊び人だから、クラブなどに行けば、臆面もなく、「おやおや、小股の切れ上がったお姉さん」とホステスに言い寄り、「まあ、社長さんたら、いつもお上手なんだから」と彼女は返すが、「ははは、今夜は本当に小股が切れ上がっているか確かめるか? なあ、いいだろう」とドレスの裾から手を入れる。
山田も何度かご一緒したが、品がなく、ついてはいけない。
まあ、榎本さんはいいや
こんなのプレゼントしたら大変なことになる
会長だけにしておこう
川本(かわもと)大蔵(たいぞう)、この業界団体の会長。
事業に対する姿勢、人柄、あらゆる面で山田の目標とする人である。
何度か、銀座等に連れて行ってもらったが、
「紀貫之ですか。あれは『伊勢物語』でしたね。『今宵こそ新枕』、ははは」
とママを口説くのに古典を使い、いやはや。恐れ入ります。
「ねえ、会長さん、どんな意味ですか?」と聞くホステスがいても、「ははは、恥かしい」と品良くかわす。
とても真似できない。
山田はネクタイを締め直すと、川本会長に近づき、「いつもご指導ありがとうございます」と一礼し、「山田さん、会社のほうも順調のようでなによりですね」とお褒めの言葉を頂いた。
続いて、「先日頂いた新製品、あれは……」と先日のプレゼント品について、訊ねてくれた。これは願ったり。
「ピョウリャンですね」と答えれば、「そう、あれ、中国語で『漂亮』って書くのかな。たしか『きれい』とか「優雅」とかいう意味だよね」と会長らしく、気品ある言葉。
会話は、
「そうです。さすが会長ですね。既にお調べになっていらっしゃる」
「いやあ、その意味の通り、素晴らしい香りだよね。まるで楊貴妃がいるような感じだね。うちの女性社員に配ったら大喜びだよ。こういう商品をどんどん開発して欲しいね」
と続き、あの話を持ち出し易くなった。
チャンス到来とばかりに、山田は「恐れ入ります。会長の御言葉に深く感謝いたします。しかし、会長にこう褒められてしまうと、こんな遊びの物は叱られてしまいますかな」と無印の小瓶をスーツのポケットから2つ取り出した。
そして、
「うちの社員で悪戯好きの者がいまして、『スペシャル・フレグランス』なんて名前を付けた、加齢臭の香水を開発しました」
と、小瓶の液体をハンカチに一滴垂らすと、会長の鼻に近づけた。
反応は予想通り、「うわっ……な、なんて臭いなんだ……」と会長は顔をしかめたが、「失礼致しました」とお詫びした上で、
「この青い瓶は、40歳以上の加齢臭の基になっている『2-ノネナール(C9H16O)』を主成分としたもの、こちらの赤い瓶に入っているものは30歳代の臭いの基の『ペラルゴン酸(C9H18O2)』を主成分としたものです」と、一応、学術的な説明を。
しかし、気分を害したなら、「じゃあ」と行ってしまうが、気分直しに水割りを手にした会長は「しかし、こんな臭いものは商品にならないでしょう?」と興味を持ってくれた。
こうなれば、一気呵成。
「勿論、売り物ではありません。あくまでも遊びです」
「遊び、ふ〜ん、いったい何に使うのかな?」
「女房対策です。それで、青い瓶の40男に匂いを『スペシャル・フレグランス・シニア』、赤い瓶の30男の方を『スペシャル・フレグランス・ジュニア』と名付けています。いや、ははは、会長の前で失礼しました」
「おお、そうか、女房対策、それで、シニアとジュニア……なるほど、面白いな。こんな遊び心を持っている社員は、さぞかし、いい仕事もするでしょうな? あははは!」
「はい、その通りです。先程、会長からお褒めの言葉を頂いた「ピョウリャン」を開発したのも同じ社員です」
と会話は弾んだ。
しかし、会長はお見通し。
ニヤッと笑うと、「山田さんは試したのかな?」とグラスの水割りをゴクリ。
「いやあ、あはは。女房、娘からは「おやじ臭い」と見放されています。バッチリです」
「そうですか、効果ありですか。で、これは頂いてよろしいですか?」
「はい、どうぞ。こちらの方はそれをスプレー缶に詰めたものです。横に小さく『シニア』と『ジュニア』と書いてありますから、お間違えないように」
「うん、ありがとう。開発された社員の方に『よい仕事を続けて下さい』とお伝え下さい。じゃあ、人を待たせていますから、これで」
会長は忙しい。
独り占めしていた山田を押しのけ、「どうも、会長!」といろいろな人が近寄って来たが、「あははは、それでは」と、それを軽くかわすと、会場を後にしていった。
パクリ商品登場
「社長!大変ですよ。これを見て下さい」
厳さんが新聞を片手に社長室に飛び込んできた。
パフューム・エノモト、男の悩みを解決する新商品発表!
パフューム・エノモトの榎本社長が記者たちとの懇談会の場で突然、新商品を発表した。
その名も、「ノー・プロブレム」。家庭不和なしの意味とか。
中高年の男性の加齢臭の悩みを逆手に取った商品で、女性と
親しくなった時、帰宅時にその香水の匂いで奥様から怪しまれぬ
ように加齢臭の臭いをシュッと一拭きすると、香水の匂いは
無くなり、所謂「加齢臭」(別名「おやじ臭い」)が服に染み付き、
世の男性の悩みを解決するという商品。
販売は来月から……
「いや、私も驚いているのですよ」と答えたものの、川本会長に試作品を渡したことは内緒。
「これ、ウチの試作品のパクリじゃないですか。どこかにスパイでもいるのかな?」と気色ばむ厳さんは新聞を掴む手が小刻みに震えるが、それを見たら、「実は」など、今さら言えない。
「試作品を知っているのは、私と厳さん、伊藤ちゃんと開発部の高橋、営業の吉野くらいだよね。どうしてかな……」と誤魔化していると、机の電話が鳴った。
「はい、山田だ」と取ると、「川本会長からお電話です」と秘書が電話を繋いできた。
(まさか、まさか、会長が……)
疑いを持ったまま、「お待たせしました、山田です」と出ると、「やあ、山田さん、川本です。今夜、ご一献差し上げたくて」と意外な言葉が返ってきた。
優しく、威厳ある声で、「午後6時、向島の『いこい』です」と続くが、山田は「あ、いや、それは」と戸惑い、「あのご用件は」と訊ねる前に、「待ってますよ」と言って、一方的に切れてしまった。
「どうしたんですか、顔色が悪いですよ」
電話を終えた山田を見て、厳さんが心配してくれたが、今は余計なことは言わない方がいい。
「いや、大丈夫です。川本ホールディングスの川本会長から急に呼び出しがあったので、ちょっと驚いているだけですよ」
「あの川本会長から呼び出し……社長、何かあったんですか?」
「ははは、向島だって。困るよね、急に飲みたいと言われても」
「そうですか。まあ、それはそれで良かった。しかし、社長、記事の件、どうしますか?」
「まあ、榎本さんのところの話だから、川本さんにも聞いてみるから。伊藤ちゃん、開発部の高橋、営業の吉野には、『心配するな』と伝えて下さい」
社内はこれで一応収まるが、問題は川本会長だ。
(川本会長にどのように確認しようか? 変な言い方をすれば、逆にこっちが窮地に追い込まれてしまう……)
山田は考えがまとまらないまま、指定された向島の料亭「いこい」に向かった。
会長の親心
「山田様、どうぞこちらへ。川本様がお待ちです」
女将に続き、大広間への廊下を歩きながら、「どうしようか?最初はこちらから切り出さず、川本社長の用事を聞いてからにするか……」と思いを巡らすが、まとまらない。
「こちらでございます」と女将が襖を開けると、驚いたことに、「いやいや、山田さん、いらっしゃい。お待ちしてましたよ」と、上座の特等席を空け、下座に座った川本会長が、その他に、業界団体社長会のメンバー4、5人も、山田を待ち構えるように、会長の後ろに控えていた。
さらに、山田が「こんばんは」と挨拶をする前に、「山田さん、今日は私から謝らなくてはいけない。まずは、この通りだ、許して下さい」と、業界の長老でかつ皆から尊敬されている川本会長が自分に頭を下げていた。
「あ、いや、か、会長……」
山田は突然のことに言葉が出ない。
どうすべきか戸惑っていると、川本の後継者と言われている老舗の吉田堂社長、吉田(よしだ)清三(せいぞう)が声を掛けてくれた。
「山田さん、まあ、ここにお座り下さい。川本会長もお直り下さい。いや、実はね、今日の新聞の記事のことなんだ」と吉田社長は、山田を上座に座らせると、お酒を進めながら、事情を説明してくれた。
「山田さんには内緒にして申し訳なかったんだが、川本会長から、あの『スペシャル・フレグランス』を見せてもらったんだ。いや、私だけじゃないよ、社長会のメンバー全員だよ。そして、山田さんが『遊び心で作った』と言ったことに感心しました。私見ですが、物づくりには『遊び心』が必要なんですよ。だから、誰も黙ってパクリはしない」
「そう、一人を除いてはね」
既に赤ら顔になっている青木商会の青木社長が吐き捨てるように言った。
「まあ、青木さん、落ち着いて」
宴席は吉田社長が取り仕切っているようだ。
「私は川本会長に企業人としての心得を教えて頂いた。企業はお客様に支えられている。だから、お客様に喜んで頂ける商品、サービスを生み出し、提供させて頂くことが大切な役目です。
山田さん、大変失礼ながら、あれは遊びとしては最高の品物だが、商品として売り出してはいかん。化粧品を取り扱う我々の最大のお客様は女性だ。その女性を騙す商品を売り出してはいかん」
山田は穴があったら隠れたい気分だった。
榎本と同じことを考えていたのに、上座に座らせてもらっている。
「実は」などと言い出せない山田を、「さあ、グイッとグラスを空けて」と、もう一杯飲ませた上で、
「まあ、あの榎本は品性下劣な奴で、しかも社員のためになることは何もせず、ひたすら自分の金儲けのことしか考えていない。そういう訳なので、今日の記事のことは許して頂きたい」
と、吉田社長まで大袈裟に頭を下げる。
こうなると、「いや、許すも何もなく、あれを商品化する計画もありませんでしたから」と、山田は土下座するしかない。
すると、それまでは周りに仕切らせていた川本会長が、「さすが、やはり、山田さんは将来この業界を背負って立つ経営者だ」と山田を持ち上げた。
「え、えっ……」と、頭を上げた山田が川本会長の顔を見ると、ニヤッと笑っている。
そして、「山田さんは『こんなものは商品化しない』と明言され、尚且つ、我々の情報漏えいも許して下さった」と拍手までしてくれた。
やっぱり、川本会長の目は誤魔化せない。
スケベ心はすっかり見透かされていた。
「すみません」とばかりに頭を下げると、「よしよし」と笑顔で頷いた。
「まあ、飲みましょう。今夜は本当に志の高い者だけが集まった月例会ですよ。」
既に出来上がっている青木社長がその場の雰囲気を代表してくれている。
「しかし、あの『スペシャル・フレグランス』はいかんな。30歳代用の『ジュニア』と40歳代用の『シニア』しかない。私達60歳代や会長のように70歳代用の『マスターズ』がないと高齢者差別じゃないか。いかんよ、山田さん」
吉田社長も場を和らげようと、慣れぬ冗談を言い出した。
すると、すかさず「ほう、吉田さんも実戦で使ったんですか」と赤ら顔の川本会長が吉田を冷やかした。
「いや、あの、その話は機密扱いになってまして……完全犯罪の時効までは、ご勘弁下さい」
座敷には男たちの笑いが尽きない。
たまにはこういう社長会もいいものだ。
(終わり)
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