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歴史秘話ーある素封家の没落-1話



作家名:バロン椿
文字数:約2900文字(第1話)
公開日:2020年8月3日
管理番号:k048


どこにでもある、金持ちが使用人の女に手をつける、それを昭和の戦前から、戦後、そして現代へ。時代は男女関係に厳しくなり、先祖代々の田畑、屋敷も失う様を描いた作品です。



挿絵の官能小説画像


プロローグ

もう「女中」などという言葉はなくなってしまったのでしょうか?

辞書を引けば、「家庭・旅館・料亭などにおいて、住み込みで働く女性の、日本国内における歴史的呼称である。」、もっと無機質的に、「よその家に雇われて家事の手伝いなどをする女性。現在は『お手伝いさん』という」、あるいは「旅館・料理屋で、客への給仕や雑用に当たる女性」などと書かれており、まあ、今の言葉では、「住み込みの家政婦」でもいいのかも知れませんが、やはり「女中」という言葉には、その独特の響き、味わいがあります。

今は令和の時代。

平成より以前の昭和、それもかなり古い、前回の東京オリンピックが行われた約60年前の、昭和30年代(1964年以前)までは、今とは違い、掃除機、洗濯機などの電気製品は一般には普及していません。

また、ガス、IHなど、とんでもない。薪で煮炊きをしていた時代です。
ご飯の支度も大変。

主婦の仕事は重労働だったのでしょう。

その中でも、例えば、地主だとか、商家だとか、住み込みで働く従業員を多数抱える家では、それに比例して家事も多く、沢山の「女中」さんが働いていたようです。

この仕事、「行儀見習に入る」、「女中奉公」などという言葉がある通り、花嫁修業的意味合いもありましたが、いい話ばかりではありません。

当時の家は鍵もかからない和室が殆どです。
男と女が同じ屋根の下で暮らしていれば、間違いも起こります。

「書生と出来ている」、「植木職人といい仲だ」、これは当事者同志、了解していますから問題ありませんが、「旦那のお手付きだ」、あるいは「若旦那に手籠めにされた」など、性に関するトラブルも多かったように聞いています。

しかし、雇い主は支配的な階級、女中は貧しい家庭の女、誰も女中の言うことなんか耳も貸さない、今では人権無視も甚だしい、酷い側面があったことも否定はできません。

これからお話しすることは、このような醜い行いの結果として没落していった、ある土地の名士、「素封家」についてのお話しです。

それでは、現代とは違う時代風景などもお楽しみ下さい。

昭和35年(1960年)

「とうとう壊しちまったな」
「ははは、仕方がない」

訪ねてきた町内会長の小林(こばやし)悟(さとる)を前に、この屋敷の当主、岩本(いわもと)泰三(たいぞう)は苦笑いを浮かべていた。

岩本家はこの土地の大地主。
戦後の農地解放で多くの土地を失ったが、まだまだ沢山の農地やアパートなどを保有していた。

「旦那様、今月の収支は」
「ああ、いいよ、お前に任せたから」

「しかし」
「いいと言っただろう」
「は、そうですか」

父の代から仕える番頭はきめ細かく、しっかり財産を管理していたが、泰三は帳簿などに関心がなく、全て彼にお任せだった。
ところが、寄る年波には勝てず、彼が引退すると、そこからは岩本泰三の好き放題。

証券会社の営業マンにそそのかされ、相場に手を出しても諌める者がいない。
最初はよかったが、「小豆をやりませんか?」と穀物相場などに手を出したのが大きな間違いだった。

「長雨は考えてもいなかった」とケチがつき、「今度こそは」と何度も失敗を繰り返し、とうとう住まいを残して、大方、失ってしまった。

それでも、住まいは敷地が約二千坪、周りを大谷石の塀で囲い、一帯は森のような木々に覆われ、母屋は木造二階建、茶室なども備え、総建坪は200坪余りの大邸宅は残った。

そこに当主の岩本泰三夫妻、長男の健輔(けんすけ)夫妻とその長男、中学三年生の由紀夫(ゆきお)と長女、小学校6年の明美(あけみ)、そして、泰三の母、92歳の米(よね)と、健輔の弟、38歳の義雄(よしお)も住んでいる。

この他に土蔵があり、古くから伝わる家宝などが収められている。

だが、その象徴的な母屋もとうとう取り壊され、新しい住まいは鉄筋コンクリートの3階建てが間もなく完成する。
そして、敷地の半分にはアパート等に建てられる予定だ。

「アパート経営者になるってことか」
小林会長は皮肉を込めて言ったが、泰三は「まあ、そんなところだ」と全く意を介さない。

そこに、「旦那さま、お電話です」と、この家に長く務めるお手伝いの斉藤(さいとう)和恵(かずえ)が呼びに来た。

「あ、分かった。それじゃあ、町会長、また」
「うん、ありがとう」


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泰三は大きく突き出た腹を揺らして、電話のある仮住まいの方に戻って行ったが、町会長の小林は顔なじみの斉藤和恵に話し掛けていた。

「和恵さん、新しい家は危なくないのか?」
「知りませんよ、そんなこと」

「おっと、そうだな。これは失礼した。ははは。それじゃあ、私も」
「はい、ご苦労様でした」

和恵は、表門に向かって自転車を漕ぎ出す町会長を見送りながら、「簡単には忘れてくれないわね」と20数年前のことを思い出していた。

昭和12年(1937年)

年も押し詰まった12月末、お屋敷の裏木戸が開き、大きな行李を背負った30前後の男と小さな風呂敷包みを手にした20代前半の女が出てきた。

女のお腹は幾分かふっくらとしているように見える。

「お世話になりました」
「おお、これは旦那様からだ」

二人は裏木戸から体を半分だけ出した、目つきの鋭い男から巾着袋を渡されると、「ありがとうございます」と深々と頭を下げていた。

「おい、元気でやるんだぞ」
「へえ」

「旦那様からの心遣い、忘れるんじゃねえぞ」
「分かっております」
「じゃあな」

そして、裏木戸が閉じられると、行李を背負った男に連れられ、女はそのお屋敷のある町を去っていった。

「番頭さん、出て行きました」
「ああ、そうですか」

「ちゃんと因果を含めておきましたから、ご安心下さい」
「ご苦労さん」

土蔵の前で番頭に報告を終えた目つきの鋭い男も、お役御免とばかりに、その屋敷を後にしていた。

その夜のこと。

そろそろ皆が寝静まろうとする頃、母屋の隅にある階段をミシ、ミシと音を軋ませながら昇っていく男がいた。

男はあたりを気にしながら、2階の奥の部屋の前に立つとすーと障子を開けた。
その時、「あなた!」と空気を切り裂くような声がした。

「あ、いや、あははは、間違えてしまった」
「もう、いい加減にして下さい。お絹に暇を出したばかりなのに」

「ははは、そう怒るなよ」

男はこの屋敷の当主、岩本泰三、声を出して止めたのは、その妻、綾乃(あやの)だった。

二人のやり取りは、この2階、つまり女中部屋に住む女たちには聞こえているが、それについて語る者は誰もいない。

つまり、女中部屋で起きたことは、誰も預かり知らぬこと。

昼間、この屋敷から出された女、お絹は当主の泰三に手をつけられ、その子を身篭ってしまった。


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そのため、ちょうど年恰好の合う、作男の俊三がお絹を嫁として宛がわれ、相応の口止め料を渡されて、行き先を告げることも許されずに旅立っていったのである。

「さて、今夜はお前とじっくり話でもするか?」
「何を言っているんですか、不潔な」

「ははは、怒ったところも、可愛いなあ、お前は」

醜いに言葉のやり取り、そしてドンドンと階段を下りていく音が聞こえなくなると、どの部屋とはなしに、ふぅーと息を吐く音が漏れ、やがてそれが静かな寝息に変わっていった。




(続く)





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